-三輪眞弘-
主張も強いですが、中身も強靱な素晴らしいもの、というか他には例をみないアプローチとその成果に驚いています。前作CDと並んで次第にぼくも宇都宮さんの活動の意義が理解できるようになっていました。
ブラボー! 


-岸野雄一-
ウツノミヤの新作は、手法的にはザガー&エバンスの「オーヴァーチュア」やEYEの「ヒットパレード2」を意識させる部分もあるが、ロジックの上ではゼロ地点を目指しつつ、そこにドラマツルギーを付加していくという矛盾を生きることで、知覚と情報の関係を問いただすドキュメンタリーとなっている。

ここまで先行した参照例としての時間論は、哲学、現象学、物理学等を見渡しても他に例の無い独自のものだ。ただのレコーディング・フェティシズムではここまで到達することはできまい。

また、手つきは科学者のそれであっても、音楽に対する愛情の深さ、音楽の謎を解き明かしたい一心不乱さに心を打たれた。 



-大友良英-
宇都宮さんが、同じアルバムで同じ曲をリミックスしていようとは・・・。まったくなんて不利なくじをひいちゃったんだろう。1回戦で優勝候補とぶつかるみたいな話だ(苦笑)。

冗談はさておき、本作品は、あまりに安易なリミックスやサンプリングが大手を振って街に蔓延する現状への、強力なカウンターパンチたり得る。長いライナーに書かれた内容の多くにうなずきつつ、また一部に反発しつつ、CDに納められた28トラックを襟を正して聴かせてもらった。

リミックスはこうあるべきだ・・とは私はあえて言わない。創作に「べきだ」という論法は(自分自身に対して以外は)ないと思うからだ。ただ間違いなく、優れた作品として、わたしは感動した。

そもそもアートベアーズのオリジナルがあまりに素晴らしいだけに、この作品をリミックスするのはなみの覚悟では出来ないはずだ。少なくともわたしは、自分の今後の音楽の方向を賭ける覚悟で挑んだ。宇都宮さんにしても、そうではないだろうか。

一つ一つの工程の中からかいま見えるなにかが、一つ一つの音の持つテクスチャーが、そして最終的なリミックス作品がわたしを打った。傑作だ。

こうなると、 RERのリミックス盤を早く聴きたい。録音からすでに2年以上。クリスさん頼むぜ! 



-小田晶房-
もしかして、聴こえる耳を持った人と、普通の耳の人がいるのかもしれない。
僕は間違いなく後者なのだけれども、“聴こえる耳”を持って生まれた人は、常人では理解し得ない場所まで音を追い求めてしまうのだろう。そして、間違いなく日本を代表する音響工作家/マッド・サイエンティストであるDr.ウツノミアも、そんな“聴こえる耳”を持っている一人。

しかし、世界中のどんなアーティストとも異なる氏の指向性は、これまではアフター・ディナーの1stや、歌う犬JONとの共作くらいでしか確認することができなかったのも事実。
 
しかし、ついに恐ろしい音源がリリースされてしまった。一言で言ってしまえば、アート・ベアーズ「ON SUICIDE」のリミックスの過程を克明に記した作品なのだが、その発想および行動がとんでもないのだ。

まず、編集の第一段階で、早くもテープの切り貼りによって、音節ごとに細かく解体される原曲。
その後、周辺の山に向けて音を放射し自然の残響を加えたり、ピッチ・シフトによりすべての音節のキーをCに統一したりと、音を完全に自らの作品素材へと変容させ続ける。

ただ、面白いのは、氏が意図しているかどうかは分からないが、一つの作業ごとに、音楽の根元的な力である何か(それを言葉では説明することは不可能)が加えられていることが耳ではっきりと体感できるのだ。この変化の記録は、音楽の謎自体が解き明かされているかのような快感でもある。
 
また、本作は一般的な音楽作品とは異なり、300枚限定の“エデュケーショナル・キット”であることもここに明記しておく。つまりこの手法を公開するということは、ネタばらし的な意味合いではなく、ここから何かを学び取ることの自由が与えられているというわけだ。
 
また、適切な方法においてのみ複製の譲渡も認められている。もしオリジナル版が既に手に入らない状態であれば、僕も頑張って複製させていただきますので、本当に興味のある方は、 aki@mapup.netまで。何せそれも学習という話なのだから、ね。
 
“聴こえる耳”は天性の才かもしれないけれど、耳を拓くことは努力次第で可能だということをこの音源は明確に教えてくれる。嘘じゃない。ホントに嘘じゃない。絶対に。  




-筒井 潤-
THE BAG magazine 第17号 「『場』の数だけ『シ』にふれてみて、記」より
 
これは事件だ。決定的である。皆さん、心して読むように。
 
毎年、神下山にある高貴寺の境内に設営されたステージで、フリーコンサートが行われている。以前は通称「寺ロック」と呼んでいたらしい。私自身は何年か前に、関係者の勧めで行ってみたら人手が足りないということで突然お手伝いさせてもらったという経験がある。で、今年も6月23日に開催された。
 
今回は恒例の音響パフォーマンスやロックバンドの出演が無く、インド民族音楽の演奏のみというシンプルなプログラムだった。これだけ聞くと、とりあえずエスニックなものには過信して何でも飛びつく夢見がちな方々が集まりそうなイベントに思えるが、そうではない。毎回高貴寺のライブをプロデュースし、P.A.を担当しているのがあのマッド・サイエンティスト、宇都宮泰なのである。
 
近鉄河内長野線の富田林駅から日に4本、そのうち1本は早朝の便だから実質3本しか出ていない金剛バスの平石行きに乗り、終点で下車。最終便は夕方6時30分頃に着き、ライヴはその降車客を待ってからスタート。つまり、帰りのアクセスは無いのだ。
 
振舞い酒ならぬ振舞いカレーに舌鼓を打ちながらの音楽鑑賞。この状況から判断すると、一種のレイヴみたいなものかと思われるかもしれないが、全然そうではない。私はトランス系のレイヴを嫌っているわけではないが、疑問に思うことがある。レイヴにはどうしても拭い切れないヒエラルキーが伴うからだ。それはスピーカーからの爆音とそれに掻き消される自然の音の差。気になりだすとどうも落ち着かない。豊かな自然との共存が心地よい形で成立していないのである。
 
一方高貴寺ライヴでは、お堂全体から鳴り響いているかのように聴こえる音(これがスゴイ!!)に包まれた空間に居ながらも、高くそびえる木々が風にそよぐ音や鳥の鳴き声、上空を飛ぶ飛行機の音に至るまできちんと聞こえるのである。それだけではない。高貴寺境内に存在する全ての事象が優劣なく五感を刺激する。
 
このような感覚に見舞われるのは、・・・実は希ではない。日々の生活において、常に私達は五感を刺激されている。それに注意を払っていないか、注意するに値しない対象しかないのである。舞台やコンサートを観に行けば、そこにはヒエラルキーが出来上がっていて、ある数点(前方からの音・映像)に集中していれば十分なのだ。ところが、高貴寺ライヴではそうはいかない。いたるところから四六時中、注意すべき刺激が五感に届くのだ。私は、いかに日頃は五感をフルに使っていないかを思い知らされ、少々情けなくなった。
 
でも実は、冒頭の「事件」とはこのことではない。こんなすばらしい空間を提供してくれる宇都宮氏の新作、これがものすごいことになっている。タイトルは「トクサノ カンダカラ エデュケーショナルキット」。丹精こめられた手作りCDRによるこの作品は、アート・ベアーズのリミックス作品を製作する過程を全て収録しているという変わりだねである。
 
原曲を切断し、逆回転、半速回転、エフェクトなど、いろいろと手の込んだ作業を積み重ねていく過程を聴いているときは、原曲の欠片も残らない音響作品が出来上がるのだろうと考えていたのだが、最後の完成作品を聴き終えたとき、本当にしばらくの間、体が硬直した。
 
前述の通り、音はあらゆる技巧を施され、原曲には存在しない音がふんだんに使用され、表面的には全く異なるものになっている。にもかかわらず、原曲とリミックスを聴き比べると、・・・心地よい印象が変わっていない! 原曲に含まれている美しさ(=音楽美)が全く損われていないのである。と簡単に言ってしまえばそれまでだが、つまりこれは、なぜ人は音楽に美を感じるのかという大問題の核心に迫る作品なのだ。
 
私は断言したい。もしこれを聴き、付属のブックレットを読んだ後、何も感じないし、何も考えさせられないという人は、今後音楽について一切語らないでほしい。そんなあなたは音楽を聞いていない。ただ、音楽の外にある資本主義社会下における商品価値に魅力を感じているだけなのである。そして、この作品が抱える諸問題は他のどの芸術ジャンルにも当てはまる。新世紀元年のリリースに相応しい、未来の芸術像を示唆する「トクサノ カンダカラ」は、全人類必聴の限定300枚。     




-T. 坂口-
The Great Muta

 プロレスラー武藤敬司は米国修行時代に顔面にペイントを施し忍者スタイルで闘う『グレート・ムタ』なる人格を創り出した。ネーミングの由来については良く知らないが、『ムトウ』だから『ムタ』というのが至極当たり前の解釈だろう。だが、“muta”というコトバを辞書で引くと『変異』の意があることに気付く。“mutant =ミュータント”という語はよく耳にするものであるし、変異の起ることを“mutagenesis” という。つまり“muta”とは『変異』を表わす接頭語のようなものであり“great muta”ならば『大いなる変異』を標榜しているようなものだ。
 
ウツノミアの“TOKUSA NO KANDAKARA”は、言わば『ザ・グレート・ムタ』な作品である。この作においてウツノミアは磁気テープを切り刻み、ある音響部分については捨て去り、一方で新たなテープ断片をすきまにインサートすることを繰り返す。近年生命科学領域で頻繁に行われている遺伝子編集に、なんとそれはソックリであることか!特定遺伝子の機能を顕かにする目的で行われる『ノック・アウト』あるいは『ノック・イン』そのものなのだ。
 
本作の成り立ちを見ていると、磁気テープと遺伝子の相同性が露わとなる。磁気テープはもはやここではDNAの様相を呈している。DNAからRNAに情報が転写されるプロセスはディジタル・マスタリングのそれに近い。そしてRNAの情報が翻訳され細胞内に蛋白の形として現れるプロセスはCDの演奏に当たると言えよう。
 
生命科学技術が大きく推進される現在。遺伝子編集による遺伝子機能の探索は最先端で華やかな仕事に思える。だがこうしたやり方が結実し遺伝子の機能が分かるケースは実のところ極めて少ないらしい。遺伝子変異を加えられた生物に全く変化が現れず数年を費やして行われた研究が水の泡と化すことも希ではない。
 
さて変異生命体に変化が起るか否かは、音楽においては「聴いて何かを感じるか否か?」という問いに相当するだろう。それを思う時、ウツノミアは随分と大きなリスクを背負いつつ音響作りに立ち向かっているように感じる。何故彼はそうするのだろう? そうまでして目指すものは一体何だろう?
 
本作にはブックレット“TOKUSA NO KANDAKARA Educational kit”が付いている。それにはテープ編集プロセスが極めて詳細に記されているが、編集行為の目的についてはそれをはっきりと示す文を見出すことが難しい。ここにヒントがある。多分目的を見出すことは聴き手に委ねられているのだ。そしてそれを見出したい、何とか見出してやろうという反応を聴き手の脳に惹き起こすことがこのCD-Rの目的なのだと私は妄想する。

 私は妄想が好きなのでこの作品を聴きながらアレコレと想いを巡らせてみた。ウツノミアの編集プロセスは、原曲が遠く記憶のかなたに行ってしまうステップであるような気がする。それでいて忘却し切ってしまわないように歌は完成させられているように思う。言うなれば原曲は太古に遡る記憶として在る一寸本能めいた痕跡の如く変異させられているのだ。つまり、ウツノミアは記憶のカケラを殆ど意識できないような形で遺伝子の中に刻印する為に途方もない音響変異を繰り返しているように思う。

彼はインタヴューなどで「目的は何」と問われると「世界制覇」と答えることにしているそうだ。空恐ろしいことをと思わず身を引いてしまうが、もし音楽における記憶操作が彼の目標ならそれも夢ではないだろう。それに彼ならば夢では決して終わらせないだろうという気もする。何故なら、彼はこうも発言しているからである。

 音楽はコンピューティングを導入して完全に骨抜きとなってしまったように思います。コンピューティングの基本は「情報の非破壊」でありエントロピー停止を意味しています。

 私はウツノミアのような音響編集を極限まで突き詰める人がこんな思想を持っていることに大きな衝撃を受けた。遺伝子であれ音響作品であれその編集にたずさわる人はきっと編集対象である情報を奉り、情報に囚われてさえいるだろうとの偏見があったからだ。彼は情報を削ぎ落とすことがもたらす豊かさをはっきりと自覚する人なのである。
 
考えてもみて欲しい。もし脳が全ての情報を壊さず保とうとし、しかも全ての情報を平等に扱い始めたなら。きっと我々は狂うしかない。補充の追いつかないメモリー不足。情報ヒエラルキーの崩壊がもたらす喜怒哀楽の喪失。生命維持原理にまで抵触する中枢神経系の破綻を、かつてこの語を用いて警告した人が居た。Information Overload、つまり情報の過剰負荷。今ウツノミアは『エントロピー停止』のキー・ワードをもってそれを描く。

 潮騒を聞いていると、自らの生命がやって来た方にふと眼差しを向けて見たくなるものだ。ウツノミアの紡ぐ音響はまるでそんな潮騒のようにして脳のどこかに棲息する。意識に照らすだけではちょっと説明できない、我々が海に抱く想い。それはきっと気の遠くなるような情報量の記憶が削ぎ落とされて在り得るものに違いないように思う。驟雨に打たれ続けた岩山が原型を失いながらもそれを見る人に膨大な削ぎ落としの時間があったことを想わせるように。しかも時にはその原型をさえフラッシュバックさせるように。 そんな雨の持つ加速度は多分、脳の中を忙しく駆け巡る神経情報のそれに等しい。
 
『大いなる変異』とは『忘れ得ぬもの』の刻印プロセスなのである。  




-川辺 敬祐-
Euro-Rock press 第10号 2001年8月31日発行より
評価チャート:項目1;意外性=10/10点 項目2;意外性=10/10点 項目3;意外性=10/10点 項目4;総合評価=10/10点

本作はC・カトラーの依頼によるアート・ベアーズ曲″On Suicide″のリミックス作品(十種神宝)の制作上のプロセスを一挙公開した教育目的のCD-Rである。
が、全28曲中通常リミックスと呼ばれる作業は殆ど無く、大半は完成曲の為のパーツ製作に充てられている。その各パーツが尋常ではなく、偏執的なテープ切り貼り&フィールド・レコーディングの連続、最後で全パートが組み合わされ完成曲となるが、これが未曾有の素晴らしさ! HACOの時もJONの時もそうだが、元曲の曲構成&メロディはそのままに、ポスト・プロダクトだけで音の質感を異次元的に変換してしまうという、フォロワーの存在すら許さぬ彼のスタイル現状極限の姿。必超! 



-田口史人-
とんでもないシロモノが発売。あの元アフター・ディナーの音響マッド・サイエンティストが、クリス・カトラーからの依頼で行ったアート・ベアーズのリミックスのその過程を28のトラックを通して聞ける一種のドキュメント、というかタイトルにある通り「教材」というに相応しいもの。しかしそのリミックスそのものがあまりに異常なので、実際に参考になるかどうかは疑問。テープの切り貼り、現実空間での再生、逆回転などは当たり前。オーバーダビングした音素材、スピーカー投げとか、ボトルに水を注入(?)とか、唖然とする行程が、極めて詳細なブックレットと一緒に楽しめる。しかもこれをコピーする際、コピーした機種、メディアの型番を書き込み報告することになっており、必要に応じて本人の補正も入れるという念の入れよう。
 
じゃあなんでCDRなんだよ!と突っ込みたくなる人もあろうが、CDRと一般プレスCDの差違とこのCDRの状態、取り扱いの注意事項、安定性確保の方法なども書いてあります。むちゃくちゃ納得。とにかく前代未聞のこのCD限定300枚とのことなのでお早めに。しかもこのCDRの盤面がまた凝ってる。装丁も最高です。CDRの常識をあらゆる意味で超えています。