尺を合わせる                         (C)Y.Utsunomia 2008-2010  尺とは、今扱っている音や映像の長さのことであるが、多くの発表手段では与えられ る上演時間が先に決まっている。  例えばテレビやラジオの番組、あるいは映画などで、番組やシーンの時間枠は先に決 まっているわけなのであるが、その時間枠に音や画像がぴったりと収まるように何らか の方法で調整することを「尺を合わせる」という。  そもそもは「仕様」にしたがって作成するので、大きな誤差が出ることはないが、そ の作業が番組であろうと映画であろうと、「1秒足らない」や「0.5秒(15フレーム)は み出す」と業務的には具合が悪い。芸術作品においては尺の問題は作家に一任され、枠 の方を合わせるという逆の状況になる。しかし、その芸術の分野であっても、映像や自 然現象を相手にした作品の場合、しばしば「同期」や「尺あわせ」の必要が出てくる。  同期運転  同期とは同じ時間軸を共有することで、大別すると ○ 同時スタートし、スタート時のズレがそのまま持続する「クロック」のみの同期と ○ タイムコードなどを参照し、中途からのスタートであっても即座に追随する同期が ある。  そもそもaudacityはオフライン処理のソフトなので、同期については壊滅的で、かろ うじて前者の「クロック」のみの同期が可能である。audacityはファイルを読み込みし て処理を行いファイルを出力することが使命なのである。  同期は2つ以上の機能体において一つの時間軸を共有することなのであるが、一般的 にはどちらか一つを「Master」、残りを「Slave」とし、つまりSlaveをMasterに追随さ せるというふうに考える。人間の楽器演奏のように「協調」という仕組みはあまり用い られない。  さらに中規模以上のスタジオでは、「親時計」(Master clockまたはGene)と呼ばれ る、オーケストラの指揮者のような存在を使用する。  同期の機能云々という場合、一般的にはSlaveになることができるか否かについてで あり、どのような装置(録音または再生機)であろうと、Masterにはなることができる。 ただ、その資質(時間軸安定性など)は問われるので、あまりひどいものをMasterにす ると難儀なことになることも・・。  audacityを同期運転に使用する場合は、Masterとして使用することになるだろう。 Masterであるなら、MIDIも映像も他のDAWも従わせることができる。  尺あわせ  audacityはファイル読み込みして何らかの処理を行い、ファイル書き出しする、とい うことを基本に設計されているので、そのポリシーに従う。  例えば、映画の音声の編集やアフレコを例に取ろう。 audacityには外部との同期の機能はないが、内部のトラックどうしは強力に同期し、正 常に動作している限り、サンプリング周波数が異なるファイルであろうと、アフレコし た素材であろうと、audacity内部では同期していることを原則とし、作業を組み立てる。  映画の撮影では、撮影するときにフィルムやビデオ映像と同時に録音された「同時録 音」の音声トラックがある。この音声トラックを入手し、そのまま(デジタルのまま変 換やリサンプル無に)audacityに読み込む。また、同時録音に含まれない追加のSEや音 楽のはトラックの開始点からの時間として指定を受ける。  アフレコやSE、音楽などの挿入は、多くの場合、他のスタッフや補助を必要とするこ ともあり、これらの作業に先立ち、先にできることをしておく。  先にできることとは、読み込んだファイルが正常に開くか、といったものから、どの タイミングでどのような音が入るかという時間位置情報の整理である。  audacityが優れている点の一つに、強力なラベルトラックの存在がある。ここに必要 な全てのメモを作成しておけば、以降の作業を行う場合の頭だしや、タイミングを容易 にとり、またミスを減らすことができる。  またこのラベルトラックファイルはaudacity固有の形式ではなく、簡単な書式に従っ たテキストファイルなので、SEなどの一覧をテキストで受け取れば、簡単な書式変更で、 そのままaudacityで読み込み使用することができる。  その後はこの同時録音トラックを骨格とし、ラベルやその他の補助手段を使用し、ア フレコやSE、音楽などの附加を行う・・・・・・・・・・・・。  そうして出来上がった音声はファイルとして書き出し、映像ターミナルソフトあるい はシンクロナイザーを経て、画像と一体化される。  この出力ファイルは、その元になった同時録音のトラックと同一の時間軸を持つ、に もかかわらず、一度切り離されたトラックは、それがもともと同時録音された「オリジ ナル」であってもなぜかズレが生じたりすることがある。このあたりが、同期とは異な り、映像がらみの作業の難しさであったりする。  このような時はあわてず、どれくらいの誤差が生じたかを冷静に計測しよう。  audacityにはタイムトラックという「時間軸制御」のための「制御トラック」が用意 されている。「トラック」→「新しく追加」→「タイムトラック」を実行すると、タイ ムトラックが現われる。このトラックへの入力方法は、エンベロープツールを用い、ポ イントを打つのであるが、タイムトラックの上にある時間スケールが2本あることに気 付いただろうか。  タイムトラックが現われる前からあるスケールがaudacity内部の時間、タイムトラッ クの上端にあるスケールが、書き出したときの時間をあらわす。先に計測した誤差分と 、この二つのタイムスケールの差が一致すれば、その状態で書き出したファイルはぴた りとあうはずである。  入力の方法  エンベロープツールで書き込む方法は上記したが、とにかく合えばよいという場合、 打つ点は1ポイントのみにして、全体に一定の遅れや進みにすると違和感がないだろう。  複数ポイントの場合、音の無いところにしわ寄せすることもできる。その際に、もし そのファイルが遅れるのであれば、トラック右側のプルダウンメニューで下限値を0% にしておくと容易に精度を保てる。進み方向でずれるのなら、上限値を0%にすると入 力しやすい。 注意)この機能は可変範囲を広く取ると動作が不完全になるようで、実際のところ未完   成なものなのかもしれない。うまくいかない場合は後述の方法を試してみるべき。 ○ wtctrl.exeを使用しズレを補正する  単純なわずかのズレにはこのプログラムの使用が合理的かもしれない。  このソフトは、このようなズレを補正するために考えられたものだが、audacityのタイ ムトラックとは異なりリサンプルは使用せず、一定サンプルごとにサンプルを間引いた り、あるいはダミーサンプルを挿入することで尺合わせを行う。間引きやダミーの挿入 というと、ひどいジッターと同じ状態であるが、故意に正確に1サンプル単位で正確に 行う場合には、意外と音に対する影響は少ない。 ○ audacity固有の可変速機能(各トラックの任意のサンプリング周波数設定機能)を 利用した尺合わせ  古くからある尺あわせの方法で、テープ(便宜上呼称)の速度を微調整し、要求され る尺に合わせる手法である。実はタイムトラックを呼び出し設定したときに、実行は この可変速(テープ速度あるいはサンプリング周波数の)機能に「時間尺」を取り付け たものとして動作している。従って、どちらも尺も変わるがピッチ(音程)も変化する という問題が付きまとうことを承知の上で使用する必要がある。また、同時に必ずリサ ンプリングを伴うため、それも承知の上で使用する必要がある。(リサンプリングしな ければ、半端なサンプリング周波数で出力することになり、再生もできなくなってしま うかも・・。  要はこの時間尺のかわりに、手動計算と外部プログラムによるリサンプリングを組み 合わせ、尺を合わせようというのである。 手順は、 A)合わせるべき誤差を測定する。 B)その測定値から、変更すべきサンプリング周波数(元のFsに対する)を算出し C)audacityにその新しいサンプリング周波数をセットし、ファイルアウト D)外部サンプリングレートコンバータプログラムにより、リサンプリング処理 である。  この方法のメリットは、外部の専用の高性能プログラムを使用するため、リサンプリ ング処理固有の、折り返しノイズの発生や、ノイズフロアの上昇、スペクトラム拡散 などを抑制できることにある。電子音楽などの正弦波のみで構成されたような作品で あっても、正確な処理が期待できる。半面、手順がある程度複雑で、また時間も必要で 動画音声の処理などを行う現場では、やや不向きであるかもしれない。また平均的CD の録音品質には無用の長物かもしれない。具体的手順は(元のサンプリング周波数を 48kHzとして A)作品の尺と、要求される尺の誤差を求める。  仮に作品の尺を11分57秒11390サンプル(一般的には11分57.237秒だがデジタル・  オーディオではサンプル数が最小単位であり、ミリ秒はあまり役に立たない。  この場合11分57秒11390サンプルなので、サンプル数は34427390サンプルとなる)  合わせる長さは12分ちょうどとすると、12分は34560000サンプルとなる。  誤差は 34427390÷34560000=1.003852 で、小さな誤差に見えるが、全体の尺で  3秒弱、パーセントでは0.39%、音程差6.7セントと無視できる量ではない。 B)元のサンプリング周波数が48000Hzなので、新しいサンプリング周波数は、  Fs=48000×1.003852=48184.896(Hz)となる。 C)この算出できた数値をaudacityの、そのトラックの左端のプルダウンメニューの  「レートをセット」に書き込み、同様にaudacity画面左下の「プロジェクトのサンプ  リング周波数」にも同じ数値を書き込む。(この2つのサンプリング周波数が同じ  数値になっていないとリサンプリングが入るので注意)  その状態で、処理したトラックを適切な名称でファイルアウトする。 D)「そのほかの有用なソフト」で推奨しているr8brain.exeを起動し、新しいサンプリ  ング周波数(48kHzまたは44.1kHzなど)、ビット深度、クオリティーなどの必要事項  を記入し、変換ファイルアウトする。    ○ audacityの新しい機能(1.3.7〜)の「時間軸のスライド/ピッチの変更」によって  尺を合わせる  audacityにはver,1.2.xから「効果」の中に「テンポの変更」が装備されていたが、  クォリティーにそれなりの問題があった。もちろんその品位で問題ない場合もあるが  より高度な処理プログラムがver,1.3.7以降で標準装備された。  前項までの可変速アルゴリズムによる尺あわせでは、音程に与える影響がそれなりに  あり、大幅な変更を行おうとしたり、表現として時間軸のみ操作をしようとすると、  音程にそのしわ寄せが現れてしまう。  このような要求には、「時間軸のスライド/ピッチの変更」が優秀に活用できる。  上記のように誤差あるいは要求数値を算出し、入力することで目的を達成することが  できるが、音程を変化させずに尺だけを変更することは、そもそも論理的矛盾なので  それなりの損失(変化)が起こることは避けようがない。  しかし目的(優先すべき品位の項目)が明確であるなら、いずれかの選択肢で問題解  決は可能と思う。またその優先すべきものを明確に見据えることが、表現なのだと  筆者は考える。audacityに限らず、オールマイティなものは現在のテクノロジーには  存在せず、いくつかの選択肢を目的に応じて使い分けるしかないことだけは普遍の  事実だ。