バランスとミキシングの心得                         (C)Y.Utsunomia 2008-2010  作文していて、随所で「なんと説教くさい」と自分自信で思ってしまうが、教本とは そんなものだろう。ムカついても読み進め知識や技術を自分に同化することが、結局は 近道です。制作経験者にとって、本項はとくに説教きついかも・・。 録音制作では、ミキシング技術を駆使し、バランスをとることが要求され、多くのエン ジニアや制作者はこの工程に「燃える」のかもしれない。またその技術的な達成目標と して、何らかの「手本」を使用しているかもしれない。実際に商業音楽の分野では、露 骨に、XXXXのような感じにしてほしい、などの要求が平然となされるし、器用な者は実 にそっくりに作業できたりする。そのような事情が「機材オタク」を生み出すわけだし、 それが極まった現代においてそんな彼らから、「新しいサウンド」など生まれるわけも 無い。  筆者が若かったころ、やはり巨大ミキシングコンソールや大容積のスタジオを駆使し、 「音楽をコントロール」することに憧れていたことは否定しない。時代は70年代であり、 そのような席には「選ばれし者」しか着くことはできなかったが、そうなることは訓練 や忍耐の原動力として十分だった。  しかし様々な経験や先人の状況を観察するうちに、その席に着いている者が「音楽を コントロール」しているわけではないことに気付いた。それに気付く以前に、筆者の 遍歴は作曲・演奏→アレンジ→エンジニアリング、となっているのだが、幸いなことに これらを同時に学べる環境にあった。しかし音楽をコントロールしている制作者になる には、これらについて全て一定レベル以上の見識が無ければならないことは衝撃的な 事実だった。また制作者にはコントロールの権限が与えられると同時に、成果を保障す る義務を課せられることは、さらに過酷だった。 さてミキシングであるが、  ○その基本的手段であるフェーダー操作によって、バランスが取れることは無い。  ミキシングといえばフェーダーの操作であると考えがちだが、素材が出揃った時点で、  とるべきバランスは自動的に決まっているのだ。そのとるべきバランスを崩してでも  コントロールしようとすると、破滅しか待ってはいない。  自動車の運転に似ている。自動車を手に入れれば好きなところにドライブできそうに  思えるが、道が無ければ走ることすらできない。道からはみ出ると危険だ!  ○フェーダーで強弱を付ける事はできない。音量が変化するだけだ。  本来音楽表現の強弱には「音量」が深く関わっているイメージがある。しかし、ピア  ノという楽器を例にとると、ピアノをピアニッシモ(pp)で演奏して録音したもの  を、爆音で再生してもフォルテにはならないし、逆にフォルテで演奏したものを小音  量で再生してもピアノ(p)にはならない。他の楽器でも同じだ。電子オルガンが出  来損ないなだけで、エレキギターでも大正琴でも同様の強弱がある。  優れた演奏家は強弱と音量を自由に操る。このことが明確化されたのは電子音楽の成  果だ。  またポップスの優れた演奏家ほど、音量の変化そのものは少なく、レベルは安定して  いるが、下手な演奏者ほど補正に手がかかる。  ○おまけに、自然界(人間の演奏や様々な現象)には、音量だけが変化するという表  現や現象は存在しない。  であるならば、なんと強引な方法で音楽(音響)構築しているのだろう・・。  それでも「ポップスとはこのようなものだ」、という規範の中で音楽していることは、  まともな神経の持ち主なら耐え難いことだろう。  音楽よりも大規模な商業ベースの業界に「映画界」がある。実際現在の音楽スタジオ  で使用される機材の、9割以上は「映画界」からの借り物だ。技術や思想においても  同様なのだが、音楽界にはその自覚が無い。   映画界には伝家の宝刀がある。それは「リアリズム」と呼ばれる思想で、その実現  に向けてほとんど全ての流れがある。(つまり技術も哲学も意味も、極論すればリア  リズム実現のためで、その実現に向けて大量の資本投下もなされたわけだ)  <<<しかし音楽界は根底思想であるリアリズムの導入を避け、技術の導入のみに   専念したわけである>>>  本来、このミキシングによるバランスが如何に不自然であるか、承知の上で映画界で  は導入がすすんだが(トーキーの初期においてすら濃厚に表れている・・)、音楽界  では導入時にすでに「都合の良い部分」しか見えていなかったと思われる。   電子音楽においては、この根本的不自然こそが新しい表現の可能性であるという  前提に基づき構築が行われるが、クラシックやポップスでは「ここまでやったらやり  すぎだろう・・」という遠慮があってか、あるいは規範が不明確であったせいか、  きわめて中途半端な状態が今日まで繰り返されている。   ちなみに筆者は電子音楽の洗礼を受けたおかげで「やりすぎ」という概念も無いし、   同時に明確なリアリズムの概念も持っている。筆者の作品を聴けば一目瞭然だろう。 (注、百歩譲って、「音楽にもリアリズムがある」としよう。音楽の表現とはそもそも  抽象の極みなのだが、作曲家、演奏家、制作者に内在するイマジネーションがあって  の表現であるといえる。このことは音楽の分野を問わないが、あえて言うなら、その  イマジネーションに対するリアリズムであり、リアルであればあるほど他人には理解  不能のものとなるはずだ。しかしこの矛盾を打破するために販売者は「共感」という  用語を導入するが、所詮それは歌詞に対してであり、もはや音楽についての議論とは  言えないだろう) ☆audacityにはフェーダーがずらりと並んだインターフェースが無いが、ここまで記述 したように、そもそもフェーダーでバランスが取れるわけではないので、なにも不安に なる必要は無い。フェーダーは、せいぜいとるべきバランスの微調整くらいにしか役立 たないことを信じよう! ★筆者は、非フェーダー主義者ではない。人一倍フェーダーは酷使している。悪しから ず。  では、どのようにしてバランスさせればよいのだろう? ○バランスは音色や音楽的機能によって自動的に決まる。  ポップスのマルチレコーディングでは、頻繁にイコライザーと呼ばれるフィルターを 使用するが、「音色の整合性」を確保しなければ、どのようなフェーダーの組み合わせ にしても決してバランスすることは無いからだ。音楽的機能によって決まるのだから、 音楽としての明確な解釈が必要だろう。そのためには楽典の楽曲分析に相当する概念を 十分に持ち合わせなければならない。(あるいは説明ができねばならない) ○先ずフェーダー作業に入る前に音色の整合性を確保する。  本来、何かの楽器を収音するには、最適な音源からの距離や位置関係がある。また、 空間の中の何処に位置するかも重要な要素だ。これが元来のアコースティックであり、 決して電気を使用しない生楽器を用いることではないのだが、用語が一人歩きし、変質 した結果、現在の用法になっている。  マルチ録音ではS/N比とセパレーションを優先するため、音源に極端に近い距離で収音 を行うが、言い換えればアコースティックな要素を切り捨てていることにもなる。  これで「つじつまが合う(聴くに耐えられる)」なら何の問題も無いのだが、現実には 彼の不自然さが売り物の電子音楽ですら、アコースティック要素を裏付け理論も無しに 導入している。アコースティック要素の導入によって得ようとしたものとは、「整合性」 に他ならない。導入しなければ聴くに耐えないからだ。  整合性が無ければバランスさせることも、当然ミックスすることすら困難になる。    マルチ録音の手口を紹介しよう。(もともとは電子音楽の手口なのだが・・) イコライゼーションとリバーブの使用がそれにあたる。後年になってからは、コーラス 効果なども、これを目的に導入された。 この、つじつまが合わない状況とはどのようなものだろう。  △聴覚上の解像度が上がらず、パートのセパレーションが得られない。   表現の一体感とセパレーションは両立させなければならない。  (バランスさせようと首座パートのフェーダーをいくら上げても、全体のレベルが増   大するだけで、あるべき表現にならない・・・フェーダーが役に立たない)  △パートを増やしても厚みが増えない。(アレンジ的に何をしても音が薄っぺらに)  △音源の大きさ感がでたらめで、有り得ないフィールドや奥行きになる。  (普通にマルチ録音する場合でも、生楽器と電子音の整合は難しい)  要はリアリズムのかけらも無いのだ。(それでも優れた構成力を持つ者は、それなり  にまとめあげたりするが・・それは説明不能の特殊能力だ) ★このことを裏付ける現象は数多くある。 ○ピアノを習ったことがある者は、大抵一度は指摘されたことがあると思うが、譜読み ができて、表現付けに入る前に右ペダル(リバーブのような効果がある)を付けて弾くと 先生に怒られてしまう・・最初のうち、一音一音がうまく弾き分けられない状態(=表 現として、つじつまの合わない状態)でも、ペダルを多用することで、何となくつじつ まが合ったように聴こえ、練習が進まなくなり上達が阻害されるからだ。  (リバーブによるつじつま効果)  ○普段歌など唄わない者でも、風呂に入り響きがあると、つい鼻歌を唄ってしまう。 あるいはカラオケ屋で意味不明なほどのリバーブに不快感を感じない。 ○生楽器のミックス(とくにドラムセット)は苦手なくせに、MIDIシーケンスによる 音源の発音なら水を得た魚のようにミックスできる。 注)MIDI音源に入っている音がミックスしやすい理由は、その音源がサンプリングであ っても、すでに整合しやすいようなイコライゼーション加工され格納されているから で、決してミックスの腕が良いからではない。どんなバランスでもつじつまが合うよう に、メーカーサイドで調整されているのだ。 歴史)MIDI音源以前に、サンプリング・マシンの時代があった。そもそもコマーシャル 制作のため(フェアライトCMI、シンクラビアなど)であったり、映画の効果音ライブ ラリ(イーミュー)のため(いずれも大変高価だった)に開発されたものだが、遅れる こと数年で、国内の多くの楽器メーカーもこの分野に参入した。  しかし一人勝ちしたのはAKAI社のみで、その理由は海外のサードパーティーと提携し、 「使える=整合しやすい音に調整済み」音のデータ供給に積極的だったからだ。末期には サンプラーと言いながら、再生専用機すら販売された。一部の有力者以外、誰も自分で データの作成(録音と整音)などできなかったのである。  MIDIシーケンスが市民権を得るには、ローランド社のサウンドキャンバスシリ ーズの登場を待たねばならなかった。この製品は整音済み音データとリバーブを最初か ら装備し、しかもデフォルトでリバーブが最適化、付加されるように設計されていた からで、もはやミキシングなど不要となった(生演奏に対しての話だが)。  逆に言えば整音(そもそもの録音とイコライゼーション)とリバーブによってバラン ス(ミキシング作業)の大半は完成していることになる・・。 (筆者の出世作のひとつであるAfter Dinnerのアルバム「Glass Tube」は、全編イコラ イザー不使用、自作プレートリバーブで制作されている) ☆ミキサーという道具の概観を見ると、フェーダーという部分が一番手前に位置し、作 業の最も重要な位置を暗示しているが、実際にはそれ以前の作業(そもそもの完成を見 越したマイク立て位置やイコライゼーションなどの整音作業)が十分にできなければ、 バランスなどしないし、いくらフェーダーをこねくってもましな状態にはならないだろ う。どうしてもフェーダーという楽器を演奏したいなら、まず一本のフェーダーを完全 に操作できるようになるべきだろう。正確な聴き取りと、一本のフェーダーが思うまま に操作できるようになっていれば、優秀なマスタリング・エンジニアとしても仕事にも なるだろうし、audacityの操作系であっても何等の問題もないだろう。(フェーダーの 動かし方など説明してくれるエンジニアはおそらくいないし、教えられるようなもので もない。筆者にもその気は無い、、くらい奥が深い)  熟練すればミックス済みのモノあるいはステレオのソースであっても、フェーダー 一本でバランスを立て直すことができるし、演奏の質を向上させることもできる。それ が私の現在の仕事の一つだ。(一つ例を示すなら、数年前に販売された、紙ジャケット リマスター版のGlass Tubeなど手ごろだろう。使用した機材はフェーダー一本のみで、 等価音圧=+16dBを実現している。物理ピーク値=-1dBで。同内容の「Editions」と比 較すれば一目瞭然だ・・・・これがコンプレッサやリミッターではなく、フェーダー一本の 仕事だ) ☆効果的な訓練方法 ○モノに比べると、ステレオですらバランスの寛容度が高く、故にバランスが甘くなり がちなものだ。要求される出力がステレオであっても、モノのモニターでミックスしバ ランス感覚を鍛えよう。ちなみにこれができなければ競争力のある作品はつくれないし、 プロとして仕事をすることは不可能だ。  またモニター環境にこの機能(MONOモード)あるいはスイッチが無いスタジオは、ア マチュア用かもしれない。SSLやNEVEなどの大型コンソールのモニターセクションの一 番手前には、このスイッチがある。マイダスのXLシリーズなど起動時のデフォルトはMON Oモードだ。 ○先のピアノレッスンの例に同じく、リバーブを使用せずにバランスや表現が正しくで きるように訓練しよう。 無論、最終的にはリバーブを使用しても構わないが、きちんとノンリバーブバランスし ていれば、過剰なリバーブ使用は自動的に避けるはずだ。商業作品でもかなりの割合で 過剰なリバーブで、質の悪さをマスクしたものがある。故にスタジオ技術者の多くは 常に新しいリバーブを求めたやまない。 ○すべてのチャンネル・フェーダーを規定位置(0dB)に固定し、フェーダー以外の方法で バランスさせるように訓練しよう。(リバーブに逃げてはいけません) もし、あなたがマスターフェーダーまで使用し、つじつま合わせ(バランス)させている なら、その操作は明確に誤っています(スタジオ作業で)。ただちにマスターフェーダー 規定位置(0dB)固定で操作できるように矯正する必要があります。 ○ポップスの場合、ドラムス/ベース中心にバランスさせている者が多いが、ドラムス 無しでもバランスできるようになろう。 正しいバランスではドラムスレスでもバランスしているものだ。ドラムス無しにすると 寂しいサウンドになるのは、バランスしていない証拠だ。 「そんな馬鹿な!」などと思わないでいただきたい。多くの腕利きたちは、訓練という 自覚も無く、通常の作業の中の確認事項として行っているものばかりを書き出してみた だけだ。 ○バランス感覚を養う訓練方法  筆者も10代のころ筋金入りのマルチ録音主義者だった(師匠にそれが知れると破門も 有り得た)。幼少からピアノなどを習い、大学入学前に大資本のオーディションも通過 していたくらい生の音楽には馴染みがあったが、大学入学後、ときにバランスを見失う という問題に直面した。この事実に反省し、師匠の推奨するペアマイクステレオメソッ ドを訓練同化することで、この難局を乗り切った。  現在の音響実務系の学校のほとんど(筆者の勤務する大学でも筆者の授業以外)は DAWによるマルチが主流で、ペアマイクステレオについての教本を探そうとしても、そ れすらほとんど無いのが現実だ。かつては第一線で活躍していたエンジニアたちも、 その多くはペアマイクで腕を磨いたにもかかわらず、書籍や教鞭ではマルチしか教えよ うとしない。もっとも教育が難しいのは「聴こえ」を養うことで、DAWの導入は見る ことで判断や評価ができるためと考えられる。また就職に有利とする意見もある。  しかも見ることとクリックしか鍛えられていない若者に、聴覚「バランス」を求め ることは酷だとする意見すらある。こんな状態が何年続いているのだろう。 <尺度を養う>  昨年(2009年夏)招きに応じてロンドンを訪れた際、BBCのフロアマネージャー宅に 滞在していたのだが、そのときに教育の問題に話が及んだ。ロンドンには多くの音響実 務系の学校があるそうだが、その中の定評のある学校では、初年度にペアマイク録音と テープの手切り編集を叩き込まれるそうだ。その後にやっとDAWへ移行するのだとか。 また当然楽器の手習いも必須なのだそうだ。  演奏者やホールを用意することは容易ではないし、ペアマイクステレオなど時代遅れ とする意見もあるが、尺度としてこれ以外は考えられないだろう。対象がポップスで あっても尺度は共通だ。(「議論の尽きない問題、あるいは宇都宮説」の項の”コンボ リューション”を参照)  イマジネーションは共通の尺度の上にのみ成立する。 <使えるフェーダーにする>  最初から何十本ものフェーダーを思うままに操作できる者などいない。 そればかりか1本のフェーダーさえ思うままに操ることは簡単なことではない。 しかし1本が最小単位なので、先ずは1本思うままに動かせるようになろう。 フェーダーがなければ回転式のボリュームでも、何等の問題も無い。 オーディオのボリュームコントロールでも構わない。(ただし激しい操作によって 壊れることは覚悟のうえで・・・) アップダウンのスイッチによるものや、ロータリーエンコーダーのものは不可。 常日頃から音量調整に使用しているはずだが、そんなに困難な経験はないはずだ。 できれば、スピーカーやヘッドホンだけでなく、調整した結果をレベルメーターで 見れればより効果的。また調整した結果を録音し、再生できればなおよし!  訓練は簡単だ。 何でも自分のお好みのソースを用意し(DTMしているならその2MIXを、生録してきた ソースでも、CDでも良いが、できれば生モノが好ましい)、そのソースを音量調整し ながら聴く(録音する、メーターを見る)のだが、できるだけ一定のレベルを保つよう に(リミッターやコンプレッサを通したかのように)調整する。  このときにソースがCDなら、マスタリング処理を経ていることがほとんどなので、 既にレベルが一定化されているだろう。そのため、この訓練をしても、ほとんど調整の 幅が無いはずだ。逆に生ものの場合はおそろしく困難かもしれない。 これでは手動コンプレッサの訓練ではないか!?  そう!バランスをとるためのフェーダーの動きの基本形は、レベルの一定化なのだ。 あなたが動物的な反射神経に恵まれず、うまく出来ないなら、何度も同じソースで練 習し、どこでどれくらいのレベルが来るのか、覚えてしまおう!  次に「予想を効かし」、「あたかも最初からそうであったかのように」先回り調整で きるようになろう。  次に行うことは前の「手動コンプレッサ」とは逆の、「手動エキスパンダ」訓練で、 前の一定化とは逆に、一定のものにアクセントやダイナミックスを付けることが目的 だ。しかし前節で解説したように、音量調整だけでは強弱や音色に変化は付かない。  ソースを作成する必要がある。 audacityの「製作」→「トーン」で、正弦波、振幅0.8、440Hz、2秒、の信号を作成し この信号が3秒おきに出るように、繰り返し回数20回ほどになるよう編集する。 再生してみよう。気が遠くなるほど機械的な無機質な反復だ。  このソースをフェーダーまたはボリュームで調整し、エンベロープを付ける動きを 体得する。エンベロープを付けることで、無機質なサウンドが有機的になれば、それが 表現の一つになるのだが、当面はピアノやギターやハープを思い描きながらがんばろ う。決してリアルなそれらの楽器の音にはならないが、様々なヒントが得られるはず だ。要は聴覚上のつじつま合わせの訓練なのだが、もともとの波形の立ち上がりも、 もちろん利用しなければならない。  前者の圧縮動作がある程度できるようになってから、後者の伸張動作の練習をすると 良いだろう。  一日30分、6ヶ月も練習すれば、それなりに上達しているはずだ。 フェーダーやボリュームを動かすことの「恐怖」を取り除き、ストローク対音量または 回転角対音量の感覚を養わなければ、思うがままには動くはずもない。 壊れたらどうしよう!?など考えないことだ。壊れたら自分で治せるようになればよい ではないか・・・。(無責任な発言、失礼!)操作は丁寧に素早く!!  実際のミキシングは、尺度に照らし合わせ、前記の2種類の動きを組み合わせている にすぎない。ある程度練習が進み、感覚が獲得できたなら、確かに強弱やそれだけでは バランスが取れるようになることなどないこと、身をもって理解できるだろうし、同 時に、それに変るつじつま合わせのヒントくらいは入手できているはずだ。  このバランスに対する感覚があれば、フィジカルなフェーダーが無くとも、例えば audacityのエンベロープツールのような機構があれば、十分作業はできるはずだ。 (できれば重ねがきが出来れば、なお良いのだが。) (余談)こんな訓練も楽しいです。  回転式円盤でテンポの変えられるメトロノームがあれば、(現在販売されているのは セイコー舎の製品くらいか?)  お好みのCDや演奏の録音物に、メトロノームテンポをピタリと同期させる訓練・・。 熟練すると、CD対ビデオとか、、パンチイン・アウトや操作タイミングの精度が飛躍的 に向上する。  のんびり同期ではなく、2〜3秒以内に素早く同期・・・感覚の中の時間軸が鍛えられま す。  遅れの場合は素早く目標テンポを追い越し、そこから犬追線で合わせ込む。