11月19日金
 術後初めての下痢。全身大変だるく、もちろん頻繁にトイレに行くが、あまり出てこない。漫然と下腹部が痛み、便に多少の血がにじむ。

 あれこれ原因を考えていたが、思い当たるに気付く。そういえば昨日、大学の研究室のテーブルの上に院の卒業生が持ってきたどこかの銘菓で、豆類やあられを上等な海苔で巻いた、筒状のお菓子があったのだが、授業後にバリバリバリボリボリボリ、バリボリとおいしく頂いたっけ。

授業前には遠慮していたのだが・・。構成素材はすべて栄養指導で「不可」のものばかり。やはりだめなのか。

大した問題ではなかったので、そのときには書き留めなかったが、退院時ころから+1週間程度、腰から足先まで中程度の蕁麻疹が出る。退院当日いきなり出社したので、ダニにでもやられたのか、と思っていたが、麻酔によってそのような症状が出ることもあるらしい。下半身だけとはこれいかに。ずいぶんと遅れてでるのか。導師さまからは聞いていないぞ。

(意外なことだが、スタジオにはスタムシ、デパートにはデパムシ、PA機材にはスピムシが居て、不用意に機材の間で仮眠したりすると目覚めるころにはボコボコになっていることが多い。大抵はダニのようだ。デリケートな機材が多いのでバルサンなどが使用できない)


11月23日火
 昨日は出社したが、夕方より激しく連続排便。最後には薄く血が滲んでいる。打って変わって、今日は排便はさっぱりなし。F君お勧めのAU IS01アンドロイド端末を求めて探し回るが、時すでに遅く寸でのところで入手できず。


11月24日水
 今日もわずかにしか排便なし。これが便秘なのか。術前の半閉塞状態を体が覚えていてその状態をキープしているのか。8ヶ月とはいえ、肉体にとっては命のかかった対応だったわけだから、原因の閉塞が解消しても消化系は悪夢にうなされたままなのかもしれない。

ひょっとすると、さらに閉塞箇所があり、その症状なのか。

 VAOに出講。SSL SL-9000J(大型のミキシングコンソール)がダウンしている。週末に電源タワーのフュエルセーフで落ちたままらしい。代用にY社O2Rがセットされているが、代わりにはならない。

前回ダウンしたときには動作中で、ラージモニターを巻き添えにされ、完全復旧に2年もかかったが、今回は起動できなくなるパターンだったので、巻き添えてはないようだ。


 今日の早朝に闘病記はNによってアップされた。闘病記へのスイッチは最初はコンテンツ一覧画面の下の端っこにあったが、あまりにわかりにくいので、コピーライト表示の右隣に移動してもらう。早速レスポンスが2chスレッドにもあったようだ。


11月25日木
 OUAへ出講。先週はフルート4本だったが、今週はユーフォニュウムのピアノ伴奏つき。
演奏者の性格の違いがおもしろい。ユーフォのあとファゴットの先生が来ていたので挨拶。
毎回ご苦労様です。

 情報センターのY氏、美術のT先生に闘病記アップを案内に行く。Y氏と学科の危機を嘆く。

 毎日が入院前のように淡々と経過してゆくのだが、自分の回復がある意味行き詰っているようなあせりがあり、すっきりしない。

入院中や退院直後には目覚しい回復や、希望的な材料が多くあったのだが、ここにきて現実世界の直面する焦燥や、自分の回復速度の停滞など、憂鬱なことが多すぎる。

相変わらず食べ物も受け付けないものが結構あるし、あまり根を詰めないようにペース配分しているつもりだが、そのことが腹立たしい。こんなことをやってていいのだろうか。

 あくまで想像だが、切除手術までに閉塞しかかった状態が1年近く続いていたわけだが、腹の具合はほとんど自律神経系支配であり、いくら閉塞やがんを取り除いたと言い聞かせても、なかなか閉塞以前のもとのようには戻ってくれない。疑り深いようだ。

○2歳児なみのシモの問題
 もともと起床後3~40分で排便できるように、きちんと習慣付けられていたものが、完全に消失。気ままに排便要求がある。統計的にみると夕方5~8時ころのことが40%と多いよう。

要求があると我慢することが困難で、トイレに走りこむ以外に耐える方法がない。また一度排泄し始めると、当分その状態が続き、中途で仕事などに復帰することは難しい。

出るだけマシなことはよくわかっているが、困る。今まで直面したことは無いが、トイレの無い電車などで移動中だったら、と思うと不安だ。

 どれくらい排泄したのか自覚できない。感覚では多く排泄したと思っても、実際には大して出ていなかったり、感覚をはるかに超える大量排泄していることも。大量だと何だか嬉しかったりするのだが。出そうとしなくても勝手に出る。腹筋は関係ない。

 毎日少しは排泄できるのだが、日によってばらつきが激しい。コンスタントに一定にはならず、おおよそ大量、少ない、少ない、大量、少ない、少ない、少ない、大量、のように波がある。

 一番困るのは、つい頑張って出そうとしてしてしまうのだが、頑張りすぎてしまうためか、接合部分と思われるあたりが痛み、その状態が数時間続くことだ。原因はわかっている。

つい闇雲に力んでしまうためだ。今回の手術を受け、大腸を短縮(多くは直腸と結腸)して初めて意識できたが、単に排泄といっても、複数の筋肉(意識的にコントロールできものも含め)を複雑にシーケンシャルに使用し、排泄は成立しているという事実だ。

腹筋に力を入れれば出るわけではない。このまま不器用に力んでいたら脱肛になりそうだ。どうすればうまく訓練できるのだろう。ああ情けない。


11月26日金
 がん治療をネット検索していて、テロメライシンというアデノウィルスを利用する方法があることを知った。数年前に報道などもなされ、かなり有名らしい。

がん細胞は多くの場合、染色体末端のほつれ止めのテロメアを復元する、テロメアーゼを活性化していることが知られているが、テロメライシン法ではアデノウィルスのDNA情報を操作し、テロメアーゼ活性された細胞でのみアデノウィルスを活性増殖するのだそう。

アデノウィルスはこれまでも遺伝子治療などで、逆転写酵素ベクターとして利用することが試みられていたが、テロメライシンではベクターとしてではなく、ウィルス本来の増殖活性を利用する方法なので、より高い治癒効果が期待できるのだそう。

要は非選択的に感染させ、選択的に増殖させるわけだ。その選択基準がテロメアーゼ活性らしいのだが、果たしてがん細胞すべてにテロメアーゼ活性があるのだろうか。

がん組織の細胞構成の中で、進行度の高い部分では無限増殖しているのでテロメアーゼ活性があるのだろうが、その前駆状態(候補状態)の低変異細胞も結構あるのでは。

慢性的にこのウィルスに感染状態を維持すれば、テロメアーゼ活性した細胞から片っ端に餌食に・→・低変異細胞だらけに・→・そうこうしているうちにアデノウィルスも強毒変異・→・急性多臓器不全、にはならないのか。

免疫だって黙っては居ないだろうし。とりあえずマイ・インターロイキンブームは去った。

後日記 「テロメライシンではベクターとしてではなく~」と記述したが、上記のような使い方の場合もベクターと呼称するらしい・・・(核酸配列情報のキャリアーをベクターと呼称するんじゃなかったか??)


11月29日月
 出社前に自転車でS病院へ。7階スタッフ詰め所へ直行。

思ったとおり、看護士長と馴染みの点滴針打ちのうまい看護士さん(笑顔が印象的)と私担当のマスク娘(今日も素顔は見せてもらえず)。エレベーターを降りたところで、すぐに分かってもらえる。

とりあえずutsunomia.comの掲載ページへ入りにくいので、昨夜作成した、わかりやすく説明した案内ポスターを渡す。詰め所に掲示しておくとのこと。

もし問題がある場合は、直接連絡が取れるように直メルアドを記載しておく。できれば感想など欲しいところだ。


12月4日土
 下痢。何が悪かったのだろう。 昨日の期限切れ味付け海苔?アーモンドチョコレート?冷え?10時ころ入浴中に、急に来た。体を拭く間もなし。そのままトイレに直行。ゆえに床はずぶ濡れ。そのままトイレの床掃除。間もなく続下痢。何やってるんだろう。

その後の高専ロボコン本選を見ているときにさらに追い討ち。結構出血。落ち込む。再びトイレ掃除。まだ腫瘍が残っているのか、再発したのか・・。


12月9日木
 OUA出講。コンバス(ピアノ伴奏つき)の録音。


12月10日金
 OUA臨時出講。管弦打の卒業試験アーカイブス録音。学生、アシスタント、全員所要
で参加者無し。一人は気楽だ。


12月11日土
 OUA出講。10日に引き続きアーカイブス。アシスタントNM君が臨時で手伝ってくれ
る。仕込みに、3回生U、NT。授業も来週が発表会のため、振り替えに。


12月12日日
 退院快気祝い。自スタジオで夕方から。N、KM、KT、夜半にAB・MK。秋田のあきたこまちと、大阪の長ネギをおみやげに。ところが、あきたこまちは虫だらけ・・。メニューは豆乳鍋。

 タカラは接待部長なのだが、途中で疲れ果てひっこむ。その後復活。Nと出版打ち合わせ。クリスカトラーに貰ったヘンリーカウ・ボックスセットをはじめてゆっくり聴く。 あぁぁぁ70年代。

 聴いているさなかににわかにモニターアンプが不調・発振状態に。タカラには聴こえるらしく、走り回る。メンバーがメンバーなだけに、すぐに分解修理。即座に復旧。例の差動回路のトランジスターの問題。次こそは交換したいものだ(交換せずに半田付けによるサーマルインパクトでお茶を濁す)。

 その後KM君が、明日はB社のADA8000のトランスの代替品を探します話から、私ADA8000改良挫折話におよび、正常状態のトランス出力状態のデータ収集に。こんなのが快気祝いといえるのかどうかは疑問だが、酒飲んで暴れるよりははるかにマシだろう。

KT君にパッドIF不良(それ以外は絶好調の)NEC VY10F本体のみをあげる。彼は今日、NKT氏からCPE-800+VCA-800を買い取ったそう。ついでに関連図面類を見たがる。




タカラの来客へのにおいチェックの話から、動物の嗅覚話→がんを嗅ぎ分ける犬の事、→警察犬を訓練するとがんの有無を嗅ぎ分けられる→キヨミは春ころから私の体の匂いが変化したことを察知していたとの発言。妙に香ばしくなったそう。放屁でバレたのか、--- 否。

この1月から手術まで、1度たりとも放屁はいたしておりません。
なぜなら放屁行為はすなわち粘液+血液の吐出となってしまうので、トイレ以外では不可能だった。ゆえにトイレに行く回数がやたらと増えていた。

私も1月ころからか排便時に匂いが変化したことは感じていた(私は自分では排便時にしか分からなかったが、ヒノキのような肝臓代謝物のような、最初は肝臓に異常があるのかと思ったほど。樟脳のような匂いにも)。

もしもこの匂いががん固有のものなら、人間の嗅覚にも余裕で識別できるものなので、物質が特定できるなら容易に検出できる濃度だろう。高濃度で容易検出できるなら、検診にも大いに役立つだろう。がんマーカーとして使えるのでは。

それ以前に、わかっているならさっさと病院へ行けよ!!

いくつかの闘病記には、同様に便の匂いが変化したことの記述がある。私は手術後にこの匂いは消失。

 しかし、考えてみると1月以降は腸閉塞に近い状態だったため、腸の内容物の滞留時間が増大し、その結果体の消化酵素の分泌比率(多くの種類の酵素や、バクテリア起源の酵素が複合しているので)が変化したのかも、あるいは滞留時間やコンディションの変化で、腸内細菌層がより嫌気性にシフトしたためかもしれない。

それにしてはベンゼン環を含む芳香族系、肝臓崩壊物風の香り、、それまではペプシネックスの愛飲者だったが、その香料をもっと激しくしたような匂いだったので、ペプシネックスは止めてしまった。

その前に病院へ行きなさい。

 11月8日にも書いたが、術前のこの半年以上のことだが、朝起床するとかかとから土踏まずにかけて、ジーンとした痛みがあり、日によっては起床後しばらく歩けないほどだったものが、退院したころから全くそのような症状は消失。

ひょっとしたらツボつながりだったのだろうか。まったく不思議だ。

 こうして振り返ってみると実に多くの予兆(というより間接的な症状)があるようだ。匂いについては他の患者さんの手記にも記述があるが、それを含み足ツボの痛みなどはあまり記述が無いものの、これらの症状についてどれくらい研究されているのだろう。

もっとキャンペーンされてもよいのではあるまいか。


12月17日金
 春日大社若宮おん祭りへ。'76年に塩谷先生と初めて取材に行き、毎年取材に訪れているので、今年で34年目となる。2008年に大社側と取材の取り決めに関してこじれたことから、去年からはアーカイブスレベルの取材を行っていない。

会場のニの鳥居、お旅所近辺は気温3度くらいまで下がり、23時過ぎまで滞在することから、相当に冷え込む。多少の不安はあったが、何とか乗り切れたかに思えたが、本格的な不調は帰りの車中で。

毎年恒例の「ふくちあん」に着いたころには開腹場所の痛みも相当に。帰宅後さらに痛む。
おん祭りも年々観光化がすすみ、今年はスタジアムベンチまでできていた。どうなることやら。



12月18日土
 旧スタ3発表会。ことしはわずか3名のみになる。出来はよいのだが、お行儀が良すぎてどのように指導すればよいのか困ってしまう。出来がよいだけではシーンに影響を及ぼす「戦士」にはなれない。


12月19日日
 精神免疫学という分野が、米国などを中心に開拓されつつあるらしい。邦訳された出版物もあるので、随分前に目を通したことがある(もともとはキヨミが見つけた本だが)。

免疫の活性状態は自律的で、意識の制御下には無いことが常識なのだが、精神免疫学では間接的にではあるものの随意に免疫(と言われてはいるが)を制御し、目的の標的をアポトーシスさせることも可能らしい。

そもそも自律的とすること自体、ある種の思い込みなのかもしれないが(私の専門で言えば、その音やエモーションが、聴こえるあるいは聴こえないということに似ているようにも思える)、精神免疫学では可能か不可能かはさておき、攻撃すべきものをイメージし(キャラクタとして絵に描くことが有効らしい)、それを同じくイメージの世界で打ち破るストーリー(情景)を組み立て、同じくその風景を絵に描くことを繰り返すのだそうだ。

別に「ミクロの決死圏」の必要はなく、怪獣対正義のヒーローのようなもので良いのだそうだ。謎の必殺技でも、不条理な新兵器でもかまわない。ストーリーの反芻に意味があるようだ。
そのストーリを信じなければならない。ネット上にある闘病記の中にも偶然なのか、そのような処方を行い全快された方もあるようだ。

 どれほどの効果なのか、メカニズムがどうなっているのか謎は多いが、「がん」という名称を聞くだけで、「負け」のイメージやストーリを組み立ててしまう(それが多くの場合の現実だろう)よりは、はるかに意味があると思う。実際に運動競技や、演奏活動でも、本来の練習に加え、イメージトレーニングは極めて重要だし、喧嘩だって同じだ。

 病は気からなどと言うが、実際、負けることだけイメージしていれば、その願いは叶ってしまうのだろう。ストレスや思い悩むことで胃や十二指腸に潰瘍ができたり、円形脱毛することは人間だけでなく、哺乳類一般にも起こることは証明の必要もなかろうし、負の精神免疫とも言える。負があるなら正があっても何らの不思議もない。

 運動競技や演奏や喧嘩にだって、個人により得て不得手があるが、この手法にももっと有効なトレーニング方法があるかもしれない。私は絵は苦手だが、作曲やストーリーの組み立てならやれる自信はある。すこし真面目に取り組んでみてもよいかもしれない。


12月21日火







 土曜にF君がIS01を私のために入手し、昨日手渡してくれた。アンドロイド端末ってやつだ。
11月末に彼から情報を貰ったときには、すでに時遅く入手できなかったが、それが申し訳なかったからなのか、IS01友達が欲しかったからなのかは不明だが、ありがたく使用させてもらおう。

以前PDA、GENIO_e_550GT(東芝製、WindowsCE機)では、踏んだり蹴ったりで、確かにWindowsCEのソフトや辞書データなどは使用できたが、連続使用時間や機動性で問題が多すぎ、到底日常持ち歩きモノにはならなかった。

ただ同然で入手したものなので文句は言えないが、今回のアンドロイド端末ではどんなものなのだろう。これもF君がわざわざ明石まで出向き入手してくれたものなのだが、携帯電話機として登録し「au ICカード」(携帯電話個別IDカード)を抜き取って使用するので、通信端末としてはWi-Fi無線LANとBluetoothと地デジ_ワンセグが使用できるものの、本来のau回線は使用できない。スタンドアローン機としてどれだけ使えるものなのか、興味は尽きない。

しかしいきなりPCとの接続がうまくできない。メーカーサイトからドライバをダウンロードしインストールしても、指定どおり「高速転送モード」にすると切り離されてしまう。

あれこれ試してわかったが、「外部メモリ転送モード」のまま、上枠をプルダウンして、「USB接続」→「マウント」としなければならないようだ。仕様が変更なのだろうか。私のマニュアル読み落とし?デジカメ写真もファイルサイズが大きいと表示できない。

とりあえず連続使用時間は長く、軽量で、キーボードがついているので、電車の中で作文はできそう。もし次に入院することがあれば、これで作文か・・。

 昼過ぎにY女から電話で、タカラの具合が悪いそう。血尿(わずか)があり、尿もあまり出ていないそう。5時からの診察にキヨミとY女と私で連れて行く。結局結石ではなく膀胱炎らしい(獣医の見立てでは、石が見つからないので・・)。抗生剤を処方される。

帰ってからY女はもっと頻繁にトイレを掃除してあげればよかったと落ち込む。カバンでお出かけが好きな猫なんて、あまりいない。調子が悪いことを伝えるために(後で掃除が楽ということも考えてか)台所のシンクの中で、しかも人が見ているところで申し訳なさそうに、排尿しようとふんばってみせる猫も珍しい。誰も汚いなんて言わない。

  


12月22日水
 VAOへ出向(N音響技術顧問として)。WestLake HR-1モニターの2年ぶりのチューニング。
前回修復後に暫定的なセッティングになっていたものを、エネルギー特性とヒアリングを元に正式なセッティングに。

HR-1は世界最高のラージモニターのひとつだが、久しぶりに幸せなひと時を味わう。お願いだから、壊さないで・・。学生の見学兼手伝いが、わずか1名とはどういうことだろう。このあたりに現在の音楽制作シーンの実態があるのだろう。

モニターを軽んじる結果が、現在の評価と販売の低迷なのだろう。特性測定とヒアリングの正しい使い分けを理解してもらえただろうか。作業がほとんど終わったところで、夜間の学生が到着。残念がる。

 帰宅途中でHG君から明日のJONのライブの案内。

 帰宅後にMY君から恒例の昆布の案内。明日届けてくれるという。明日、話の中で突然がんの話が出ると衝撃的なので、電話の中で宣言しておく。積もる話もたくさんあり、長電話になる。




12月23日木
 昼過ぎにMY君来る。積もる話が盛りだくさん。彼は現在ゲーム会社とお付き合いがお仕事のよう。去年より元気そう。いつものおいしい昆布をいただく。ありがとう。

JONに会いに行きたいが、昨日の疲れなのかあちらこちらが痛く、とても電車に乗ってBEARSにたどり着く自信が無い。HG君から確認の電話があるが、行けないと返事し、そのまま寝込んでしまう。3時間ほどして目が覚めると、結構回復している。滅多に会えるわけでもないので、そのままIS01、H1、UltraFire RL-168などを装備し出かける。

このようなライブに呼ばれるのは、表向きにはJONとの面会なのだが、レーベルとしては新人との面接の意味もあるようで、ライブがあるとその他のアーティストとの簡単な挨拶などの面談なんかがある。

実は「JON&Utsunomia( )」の制作の承諾も同様の経緯であった(このときはJONとの面談ではなはく、デモテープのプレゼンだったが)。私としてはH1スッピンのライブハウス現場テストなんかを用意。

しかし出発した時間が遅かったせいもあり、JONのライブは見れず。犬彦バージョンだったようだ。残りのバンドはおなじみのニプリッツ、新人の下山。これらはテーブルの上にミニ三脚でH1録音。

H1もきちんとマイクを立てれば、それなりの音で録音できることはわかっているのだが、Hシリーズの中では最も大音圧に強いH1の、本体のみ録音を試してみたかった。余裕で録音レベルを調整できるが、内蔵のマイクロホンの振動板のテンションが緩いせいなのか、

混変調のようなドスの効いた、やや濁った音になるが、全立ち見、満杯状態で、低い位置の割には良い音で録音できるようだ。しかし、低域は相当にブーミーなので、スペクトラムからイコライゼーションカーブを割り出し補正を行うと、良好なバランスになるようだ。

下山は外大の学生らしいが、70年代な香りのある、なかなか骨太な演奏でこれからが期待されるが、裸はその音楽にはあまり馴染まないのでは。ジグソーパズルのブロマイドを物販している。





12月24日金
 N会社に出社。年末ということで、技術部の測定機器のメンテナンスなどがメインの仕事。校正は春に行うことが多いが、本日は機械接点や機械構造物、電力系配線などのオーバーホールがメイン。

出社前に日本橋へ立ち寄りNEC MA20 PC本体の中古を探す。メモリー付きで2000円也。

2台購入。2台のうち1台は特殊な仕様のようで、BIOSにパスワードが設定されていたり、起動シーケンス部分が書き換えられていた(通電で即座にONにできるらしい)り、メモリーが1256MB実装、CDRWドライブ実装だったりする。HDDはどちらも30GB。1GBのPC2100メモリーが使用できるとは知らなかった。1台はご近所のYG家のCAD出力用、残りは学生用。

 工人社PA3KX32SA(マイクロノートPC)が発売されてから、値下がりするのを待っていたが、ついに残り僅かになってしまったよう。退院祝いに買ってあげるか。

 Nのアカウントでオーダーする。何に使うかはとっくに決まっている。

2010年
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2011年

1月4日火
 夕方からサウンドオブミュージックのHDリマスター版の放映。放映用にカットされ短縮された部分が多いのは少し残念。結局DVD版も鑑賞。DVD版の音があまり良くないことに気付く。

帯域が狭いし、説得力に欠ける。とくにヘッドホンで聴くと、つぎはぎにドロップアウトだらけ。こんなにひどかったかな。

個人的にはジュリー・アンドリュースも良いが(中高生のころは大ファンだった)、映画の中ではペギー・ウッド(修道院長)の歌が好み(なのだが、この歌はペギーウッドではなく、別の歌手による吹き替え)。

じじいになったときに、こんな歌が唄えたらなあ。


1月5日水
 utsunomia.comの新年更新。
年末、年始にかけて普段と違うペースになったためか、日記は滞る。キヨミの実家には無線LANがあるため、IS01三昧。アンドロイド(というよりはIS01固有の)操作や癖の把握は、ある程度できたようなできないような。やはり本体のパワーというより、ネット接続し、そこにある情報を受け流すニュアンスのよう。以前のWin CE端末よりもパワーもあるし、表示や標準装備の処理も強力なのに、スタンドアローン性は虚弱。

また本体内に地磁気、ジャイロ、GPSを内蔵するため、そこからの情報を使用するアプリケーションは面白い。スタンドアローンの地図ソフトが欲しい。また読み込んだGoogle MAPを保存する方法が何かあるはずなので、それも見つけたい。しかしセンサー類だけでみると、まるでWiiと携帯電話を一体化したみたいな印象。 

 結局サウンドオブミュージックのLD版を本日点検。解像度そのものはHD版、DVD版に及ばないものの、映像そのものの深さや余裕では、存在感たっぷり。音声は帯域、ドロップアウト、解像度のいずれでも最高だ。

ノイズ低減処理などが無いため、その分ノイズも多いが、拾い上げた素材の痛み具合が少ないからなのか、余計な処理が施されていないからなのか、非圧縮だからなのか、LD版からは素材の収集ができるが、DVD版では失われているものが多すぎる。とりあえずLDの存在価値は確認できた。

 正月にはキヨミの実家で御節料理などもいただくが、ここに来て自分の腹具合(排泄具合)もわりと安定してきたようにも思える。単に慣れたことが大きいのかもしれないが、以前ほど不安には思わなくなったし、イレギュラーに便意に襲われることも減ったように思う。

小用の時にでも、大もこまめに排泄すれば良いし、外出時などでは「待ってくれる」ようにもなってきた。文で書くと以前と大した違いは無いのだが、ある程度予想ができるようになったということなのか、それとも本当に待ってくれるようになったのか。この調子ならあと2ヶ月もすれば相当に改善しているかもしれない。いや、そう望みたいところだ。


1月10日
 数日前(6日)に工人社PA3KX32SA(マイクロノートPC)が届く。
例によって内部の解析と、様々な諸策を施すべく連日深夜になると奮闘するが、この機種はコンパック製のリカバリ領域が先頭から5GBあり、これをどうするかが頭の痛いところ。

削除し、アクロニスセキュアゾーンに置き換えてしまえばよいのだが、当面保障がある間は、残しておいたほうがよさそうな気もする。

 アクロニストゥルーイメージのインストール自体は問題なくできるし、アーカイブの保存も問題ない。しかし、セキュアゾーンの作成や、LINUXブート(F11を使用する)、再起動を伴うアーカイブの書き戻しがことごとく引っかかってしまうようだ。これらに抵触しないような運用をしなければならないのか・・・Windowsが起動できなくなるほどの重篤な状態ではコンパック・リカバリを使用し→アクロニス11以降のインストール→外付けドライブから再起動なしで書き戻す・・めんどうくさいな。

 無理やりセキュアゾーンを作成し、外付けしたドライブでブートしようとしたら・・・あららら・・なんとSSDがファイルシステムエラーでクラッシュしたではないか。アーカイブスはSSDドライブ全体、C:単体の初期状態、セットアップ済み状態など、それぞれのステップが保存してあるので、自力でどこまで修復できるか観察してみる。

クラッシュは深刻で、本体SSDだけではなくそのときに接続したフラッシュメモリー、HDDなど全てに及んでいるよう。あちこちにfound000が出現。たまらない。どうやらフックが重複し、コンパックが勝ってしまうものの、一部が書き換わってしまうらしい。

 ブートと書き戻しの癖が把握できたので、使い勝手のカスタマイズをしなくては・・。それにしても文字が小さく、老眼の進んだ私には正確に25cmほど離れなくては読めない。それよりも近くても遠くてもだめだ。その状態で内蔵カメラを作動させて見た自分の姿にぞっとする。

これまでは、StillGreen氏作のSGLauncherをメインのランチャーとして愛用していたが、タブレット状態、難儀な指紋読み込みポインティングデバイスでの使用を考慮し、あらたにランチャーを見つけなければならない。Vectorを中心に物色。いくつか入手して使用してみるが、結局、miki氏作Clock Launcherを仮採用。

SGLauncherを断念したもうひとつの理由は、SSDをはじめとしたフラッシュメモリーでは、登録した実行ファイルやフォルダやファイルは、ランチャーで一覧を開いたときに、それらがそのアドレスに存在しているかどうかを確認に行き、あればそのアイコンが、無ければ無いことの表示が出るが、その確認作業が多くのソフトではHDDに最適化されており、固体メモリではやたらと時間がかかり(起動初回のみ:一度読み込まれるとキャッシュされるので以降は問題ないが)具合が悪い。

SGLauncherでは一覧を開いたときに始めて確認に行くが、Clock Launcherでは起動後から放っておいてもちょびちょび確認に行き、ランチャーを使うころにはすべて読み込み終わっている。それにしてもSSD、ランチャー遅い。デフラグ遅い。(デフラグは行わないほうが良いようだ)

 また起動するたびに何が違うのか、動作の重さが変化する。何が原因なのかわからないが浮き沈みがあるようだ。早く手なずけたいものだ。

 なぜかSSDの先頭5GBにリカバリ領域にあてられ、それ以降にC:が割り当てられているが、理由がよくわからなかった。普通、リカバリ領域は後部でしょう。いろいろ考えてみたが、SSDは書き込みサイクル寿命が短く、そのため、ボケてきた時にこのリカバリ領域を解消し、C:を先頭から配置すればリフレッシュできる、ということなのだろうか。

HDDの先頭部分が怪しくなったときに、先頭部分にダミーパーテションを設け(つまり1~2GBゲタを履かせ)その後にC:を持ってくると性能回復できるが、同様の配慮が最初から組み込んであるのだろうか。謎だ。


1月12日水
 昨日はN会社へ出社。年内に行ったクラークテクニック社DN360 の修理改善処置が誤っていたことが判明。全てやり直す。そうこうしているうちに、椅子から立ち上がったときにどうひねったのか、ひさびさの腰痛(ヘルニアによる坐骨神経痛)。

1年半以上痛んでなかったのに・・。その後慎重にひねったのと逆に、ゆっくりとねじって椅子に座り安静。どうしたわけか症状は運良く収まる。いつもこうならよいのに。


1月18日火
 F君からいただいたIS01上で動作するオフライン地図表示ソフトと、Google mapをファイルとしてダウンロードする情報をもとに、実際にそれに従い動作させて見る。地図のダウンロードに時間がかかるが、実際の作動状態はある意味「理想的」といえる。

世界中どこでも使用できる(あらかじめ地図を用意することで、通信環境のないところで、スタンドアローンで動作できる)ことが信じられない。早速大阪全域の地図を入れ、夜の散歩に。 このためだけにもう一台IS01を入手しておきたいくらいだ。

工人社PA3KX32SAのファイルシステムエラーの問題の1因は、内装していたマイクロSDHCカードの不良が原因だったかもしれない。いずれにしても症状は次第に重くなり、ついにはこのカードの読み書きが一切できなくなってしまった。

カードにはオンライン認証のソフト(のデータ部分)や各種のデータが入っていたが、事前にHDDに退避してあり無事。17日にサムソンOEM(らしい)クラス10、16GBのマイクロSDHCカードを入手。今度は快調に動作しているようだ。ファイルシステムエラーの根本的な原因はよくわからないが、カード不良であってほしい。

(この不良カードは、後日オーバーヒートによる焼損であることが判明)


1月19日水
 自スタジオでデリー・カシミール・カレーパーティー。入院中は2度と食べられないか、とも思ったりしたが、無事に食す。低下しがちな食欲がにわかに回復! 幸福なひと時を過ごす。食欲があることは幸せということを確認。

「闘病記 改め 見聞録」についても、様々な反応が寄せられているが、総じて女性には反応が悪いようだ。「意味がわからない」「書かれていることの必要性が理解できない」から「食事がマズくなった」など。逆に評判が良いのは、同年代以上の女性と40代以上のどこか悪い男性。

しかし、医師連中(お世話になった病院関係者は含まず)にはおおむね「表記や解釈は間違ってはいないが・・」と歯切れが悪い。勝てる「新時代の患者」になりきりたいだけなのだが。これでも他の闘病記や対応を読み漁り、それなりに考えてはいるのですが。

ニュアンスとしては「ボーグに捕らえられ、同化されたピカード艦長のレポート(冒険旅行記)」を目指したものなのに。

 とにかく自分も含め、少しでも誰かの役にたってほしいので、指摘を受けた部分は意味の説明を加えたり改善を試みたりしているのですが、もとのニュアンスを残したいので限界はある。反面、大変励まされた、、と、結婚祝いをいただくことも。


1月21日金
 今日は休みなので、一日IS01+RmapsでオフラインGoogle map/earth三昧。
入院前は、あれこれやりたいことがあっても、仕事やライフワークに無関係のことはつい我慢することが多かったが、退院後はホームページコンテンツの充実ということもあり、このような趣味に近いことも抵抗無くできるようになった。人生エンジョイだ。

(それはそれで新たな不安材料だったりするが・・・こんなことやってていいんだろうか、という不安との闘い)

 調子に乗ってどんどん地図を作成していたら、目を放した隙にデスクトップ(フォルダの中なので一見するとわからない)には数百万のファイルで占拠され、身動きできない状態に。消去しようにも簡単には消去できない。ハードディスクが不憫なので、アクロニスで一掃することに。

いろいろと気をつけることがあるし、自分でも把握できない部分があるので、ノートをつけることに。ノートができてみると、公開したほうがよいのではないか、との考えが。サイト管理者と相談しよう。

とりあえずマップとアースは自由に行き来できるようになった。Google earth画面上をリアルタイムで歩けるようになるとは・・・。

次回、海外に出かけるときには、強い味方ができた。これで迷子にならなくてもすみそう。そのためにはIS01を外部バッテリーで長時間使用できるようにしなければならない。しかしダウンロードしてオフライン使用することは、利用規約に抵触しないのだろうか。

 言われなくっても明々後日の術後3ヶ月検診は、不安と期待でいっぱいだ。少し不足気味の期待に加勢すべく、マップ遊びをしているのだ。地図があるからといって不安をまぎらわすことができるわけではないのだが。


1月22日土
 3回生たちの発表会2回目。たった3人しかいないことがさびしい限り。数年前なら考えられなかったことだ。学生たちの興味が変わっていったのか、私の問題なのか。

しかしこの3人は学年の中でもトップクラスの成績と実行力であることが救いだ。発表内容も1回目よりよくなっているし先が楽しみではある。発表会終了後、猫狂いのバレリーナOさんがタカラに会いに来る。今日も写真を数百枚とりまくる。

Oさんも副手を退任するので、この次会えるのはいつになるやら。


1月23日日
 明日は術後3ヶ月検診。心配の種は尽きない。腫瘍マーカ値が上げっていたら・・、CTに不吉な影が写っていたら・・・、あげく造影剤で肺梗塞になったら・・・・、人並みに心配は心配。次の入院時の装備まで頭をよぎる。

 排便状況は日を追って良くなっている様で、最近では不安や不満はあまりなくなっている。ふと思い返してみたり、日誌を読み返してみたりすると、大変改善されていることがわかる。徐々にではあるが、消失していた起床後3~40分での排便するサイクルが戻りつつある。

 現在のシモは4歳児くらいか。
決して元通りではないのだが、あえていえば「付き合い方がわかってきた」ということのようだ。これだけは先生に問われたら「よくなっています」と答えられそうだ。

食事はほとんど元通りだし、食べすぎにさえ注意すれば「特別なこと」は起きない。
以前は排便量も日によって大きなムラがあったが、ここのところ比較的に平均化してきたようにも思えるが、回数だけは多いままだ。考えてみれば1日1回にして溜め込んでおくことのほうが不自然かもしれない。こまめに排泄することは大腸にとってもメリットがある。

あまり力むこともしなくなった。力むことは随意的なものと思っていたが、反射的要素も強いのかもしれない。シーケンシャルなタイミングが最適化されつつあるようにも思える。いずれにしても力むことが原因の痛みもなくなってきた。

改善はこのような他覚的なことだけではなく、「感覚」が戻りつつあるからでもあり、突発的な要求感覚があまり無くなったことが大きいかもしれない。また、どれくらい出てどれくらい残量があるかが、ある程度掌握できるようになってきたことも大きいだろう。

正直なところ、こんなひどい状態なのだったら人口肛門のほうがいいのでは、とすら思ったこともあるくらいだった。

 自律神経系が疑り深く悪夢にうなされたまま・・という記述を以前したが、多少は悪夢からさめつつあるようだ。体力は回復しているはずなのだが、やはり術前のような行動力は伴わない。

デスクワークでは元通りなのだが、外出がおっくうで、以前のような活力は出てこない。これが「気落ち」というものなのか。いっそうの回復にはなにかきっかけが必要なのだろう。

 ここ最近ハマっていたIS01でオフライン地図を使用することも、ファイル化することそのものが利用規約に抵触することが判明し、せっかく書いたサバイバーライン用の原稿も手を入れるのが億劫になってしまう。

それにかわりEPWING辞書の閲覧アプリに興味が移るが、これまた過去のEPWING辞書資産の取り扱いが「微妙」なので、今ひとつ元気が出ない。しかし利用可能にはなったし、IS01は確実に使えるような装備にはなってきている。

でも健康上の不安からの逃避であるところが微妙だ。


1月24日月
 今日は朝9時から術後初めての造影剤CTスキャン(肺、腹部、骨盤腔)。昨晩はうだうだとろくでもないことを考えながらIS01遊びをしていたら、朝になってしまった。

1時間くらいは眠ったのだろうか。キヨミに連れて行ってもらい、再診受付→消化器受付→放射線科受付。S病院の設備は病院規模から考えると強力なものが多く、最近では珍しくはないCTやMRIではあるが内容的に強力で、今日撮影するCTでは64列マルチスライスタイプを用いるようだ。

同時に64方向からの撮影を回転しながら行うために、写真などでいうブレが少なく、スライス1枚あたりもより薄く、見逃しも減るはず。撮影そのものは短時間で終了する。患者から見ればそれだけ被爆する量が減るわけで、モダンなマシンの採用はリスクの低減となる(いや、なってほしい)。単なる断面ではなく美しい3次元描画が得られるのだが、少ししか見せてもらえない。

MRIは3テスラマシンを所有しているようだが、3テスラとはどれほどの磁力なのだろう。LCの同調回路を突っ込むだけで、ラジオが聴こえるほどだろうか・・。アルミフォイルをすばやく引き抜くと発火するほどなのだろうか。

 造影剤なしで3回、ヨード造影剤(イオバミロン100cc、結構即注)有りで1回、所要時間は採血まで含めて15分くらいか。一回ずつは息を止めている時間で10秒にも満たないほど。80年代に原因不明の耳鳴りのおり、頭部CTを撮ったことがあるが、そのときは黎明期だったのか、まるで天体模型の太陽になった気分だった。危ない危ない!

 私は子供(6歳くらい)のころから父親の研究室が遊び場だったせいで、放射線教育は万全だ。子供は入れない管理区域(例の黄色地に黒のマークは水戸黄門の印籠にも等しかった)が隣接しており、無用なほどにビビらされていた。

棚には使用済みのX線管がずらりと並び、普通の子供が妖怪やオバケにうなされているとき、私はX線管に追い掛け回されていた。蛇のようなホースの先端にX線管が付いたやつだ(といってもわからないだろうね)。

こいつに何度も何度も焼き殺され、朝を迎える・・。なぜそんな恐ろしいところで遊んでいたのか・・。父に言われたとおりの順番で、言われたとおりのタイミングでスイッチやバルブを操作する。

デジタル機器の無かった当時の苦肉の策、「子供シーケンサー」だったのだ。そんな機会はそれほど多くは無かったように記憶しているが、うまくできたときにはえらく褒められたことが忘れられなかったのだろう。

逆にさっぱりうまくいかないときには、隣の実験室(部屋の大きさは2階分吹き抜けで、小学校の教室くらい。高電圧を使用する何かの・・ニコラテスラの装置に似ていたような・・何やってたんだろう?・・(ここは父の研究室ではなかったと思う)・・に幽閉されたが、そこはX線管蛇よりも恐ろしかった。決して何にも触れてはいけなかったからだ。

巨大なコイル、長い背丈ほどもある碍子にささえられたガラス板に乗った謎の装置、縦横に走るおびただしい配線。オゾンとオイルの酸化した匂い。身をおく場所なんてどこにもないし、座り込むことすらできない。今見れば何なのか、すぐにわかるだろうに。そんな恐怖が、翌日も父の研究室に通わせた。

父の研究室の片隅にはマジックハンドの残骸(本物)が置いてあり、(そういえば当時はおもちゃのマジックハンドが大ブームという、何という時代!!)父は褒めてくれるとご褒美にマジックハンドのセルシンモーター(2個一組で使う、遠隔で回転角やトルクを伝送することができる・・)でコミュニケータごっこで遊んでくれた。

それ以来セルシンモーターは私の思考部品の一つとなり、今日に至る。








*Oramicsについては別の機会にレポートする予定です。

  ああ、下の階にはPET-CTまであるじゃないか。入院中はついよけて通っていたのに。夢にも見たくはないものだ。PET-CTが怖いんじゃない。うなされそうなのは製造装置のほうだ。KEKのYさんは「うちの加速器では炭素線が・・」なんて言ってたが、誰が行くものか。お気持ちだけで十分です。

 あっという間に終わってしまったところで、モーニングを食べに出ていたキヨミを携帯電話で呼び戻し、清算しようと会計にいったら、二人とも現金の持ち合わせがあまりない。12080円を支払ったら残金は二人合わせて百円もない始末。私は帰宅後すこし睡眠を、キヨミは荷物の発送や灯油の購入に。

 午後からN会社へ出社。もちろん今日の移動はすべてIS01でロギング。私は道のどのレーンを走行したのかまで表現されていることに大喜びなのに対し、キヨミとY女はつまらなそう。ナビの案内を利用する人は多いが、とくに女性は案内の声に反応し、地図そのものやそこに表示された自分の位置には興味がない人が多い。

とくにロガーについては興味がないどころか「意味わかんない!」や中には嫌悪感を示す者すら。頭の構造の違いなのか、長年の謎だ。

多くのポケットナビでは、計測された自分の位置ではなく、そこに最寄の「道」に丸められる。これがかなり腹立たしい。

Google Earth上を走っていく自分を、リアルタイムで見ることができるおもしろさを、どう説明すればよいのだろう。会社に到着し、このところの成果を自慢するが、男連中もややうんざりしている。

実はKT君は先日渦潮の録音に行く興奮冷めやらず、N君は自分の企画のイベントの成功がうれしくてしかたないのだが、まわりや私に事前の案内をしていなかったせいで、話を切り出せずにいる。皆、楽しいことがあることはよいことだろう。

仕事をしながら地図データのダウンロード(これは会社全体の通信容量の上限に達していて、皆さんにご迷惑をおかけしたよう・・どおりで速いはずだ)。夕方から新年宴会。私のコンディションを考慮して店を選んでもらったそうだが、結局あまり食べられず。

帰社後、会社の自分用デスクトップPC NEC-MA25VにATIグラフィックボードを組み込む。グラフィックボードは前から持っていたのだが、専用ケーブルが無かった。ところが先週ジャンク扱いの新品が大量に入手できたので。



1月25日火
 帰宅後、IS01あそび。わりと頻繁にOSや電源が落ちてしまう問題が、やっと解決できたようだ。
電源管理(バッテリー管理)アプリを完全にアンインストールし、関連のありそうな不要アプリも同様にアンインストールしたところ、一発で本体起動できるようになる。(それすらも怪しかった・・。)まめにオールリセットすべきなのか。

無線LAN環境が自宅にあれば楽なのに、いや単なるLAN環境すらないのが現状。地図をダウンロードしていると速い回線が欲しくなるが、そんな誘惑には負けないぞ!(なのにIS01環境として無線LANルーターを2台も購入)

 IS01とPA3KXマイクロPCの専用かばんを見繕いにかばん屋へ行く。おおよそ想定していた形状のものが、リーズナブルな価格で見つかる。さあ、スマートに行くぞ! 
次回入院のためじゃないからね。

1月26日水
 VAOで評価会。トイレのない電車に乗っても、あまり不安はなくなってきた。帰りは一瞬ヤバイと思ったが、その後30分も耐えられた(まわりにも迷惑掛けないように)ことで、結構自信がついたような。


1月27日木
 OUA木曜の通常授業は今日で終わり。提出物の合評。授業後、美術学科T先生のところへ行く。なんと先生は今年度で退官されるのだそう。穏やかに見えるが、経営側や学科からの要求にブチきれていらっしゃるよう。

「余生を楽しむ」とおっしゃるが、それよりも話の中で伺った健康診断の結果数値のほうが心配。案じて健康を祈ることしかできない自分がもどかしい。確かにストレスや負荷を調整することは有効と思うのだが。私の基本は「急に環境を変化させない」なんです。


1月28日金
 休講にした穴埋めの補講。2回生、3回生合同の特別メニュー。「トクサノカンダカラ・レクチャーショー」である。

この講演を行うと、本当に「聴こえる者」と「そうでない者」がはっきりと分けられてしまう。
まったく残酷だが、これが音楽の現実だろう。


1月29日土
 久しぶりの土曜休み。次の月曜の検査結果インフォームのことを考えると、当然不安なのだが、積極的にIS01関連工作に逃避。外部バッテリーボックス(エネループ4本用・・秋月電子扱いのUSBコネクタ出力つきのボックス)に、バッテリーとの接点材料の改質(銀板に)と、LEDの実装。さらにIS01をカメラねじでスタンドに取り付けるための本体用ホルダーをアルミ/ジュラルミン工作。

外での工作は寒すぎる。 

ああ楽しかった!





実は、少々新たな不安があるのだが、K医師にどう切り出せばよいかわからない。気づいたのは退院後すぐなのだが・・。


1月30日日
 一日中雑務に追われる。学期末なのでいたしかたない。もし明日緊急に入院になっても提出期限に間に合うようにしておかねば。あまり考えたくはないのだが。

 非常に主観的な判断なのだが、手術により大きな腫瘍は取り除けても(そもそも緊急避難的処置の手術だったし)細胞レベル、分子レベルでは、残存勢力はゼロとは言えない。

どれだけ免疫系がブロックしていても、患部よりも下流は励起物質や壊死した腫瘍細胞の破片、感染力のある細胞片などが常に接触していたわけなので、免疫によりリンパ流や静脈流へのブロックができていても下流は長期にわたり高濃度汚染され、腸管内部からは免疫系による清浄は期待できない。

 そもそもポリープの形状がキノコ型なのは、正常組織や免疫系が「その部分」を排除しようとしているためとも考えられる。十数年前に、目の結膜部分(あっかんベーで露出する部分)にキノコ状のものが生じ、約2ヶ月後に根元部分が勝手に切り離され、ポロリととれてしまったことがある。

腫瘍の悪性度が高い(新造動脈や細胞活性が高いという意味で)と、正常組織から切り離される速度よりも、新造速度が速く、どんどん食い込んでいくのだろう。消化管の内部や肺の内部は組織から見れば「外界」であり、免疫系の攻撃から逃れるのには都合がよい。

 免疫系の抵抗があるからこそ組織との結合部分は大きくくびれているわけだ。免疫系の実行部隊の白血球は血液やリンパ液に乗って活動するので、腫瘍にとって肺や腸管の内部は居心地がよいのだろう。

仮にその突出部も血液やリンパ液で満たせば、免疫系は強力に機能し、腫瘍組織をアポトーシスに導けるのだろうか。くびれのない盛り上がったタイプでは勝算は薄いが、キノコ状の場合は勝てないだろうか。

 退院後、漫然とではなく、ときおり「オヤッ」と思うことが何度かあった。軽い発熱、例の匂い、非常に局所的な発熱感と痛み。短時間の足の裏の例の痛み。勝ってるならそれでいい。やはり下流にはいくつか切除の必要なものが残っているのだろうな。



1月31日月
 10時に、先週の検査結果を聞きにS病院へ。K医師から調子はどうですか、体重はどれくらいなどと質問。術後創の確認と聴診器でチェックされながら、随分よくなりました・・などと答えながらほとんど上の空。目は先週の血液検査の結果チャートに釘付け。

おぉ~あった・・CEA=1.8ng/ml、CA19-9=3U/ml・・・いい具合じゃないか。
喫煙してるし、これ以下には下がらないのか・・・

「体重は???」・・あっ、最近計っていません、多分60Kg くらいではないかと・・・・・・白血球数増えてますね(10100/μl)・・・・        ・・・・・。

もともと数値高めなのが戻っただけさ・・・・でも、術後は一旦6800まで落ちてるし。
風邪ひいてもこれくらいにはなるさ。 

まあ、上がらないよりは「何か」に反応し、がんばっているわけなので様子見を決め込もう。総コレステロールも268 mg/dlと過去最高ながら、今日はアンダーラインも引かれていない。やはり闘病記を読んだのかな。スミマセン。

 連日モンモンとしていた件を切り出す。「あのぉ、退院後すぐから気になっていることがあるのですが、」 「ん?」 「肛門から2~3cmのところに何やらでっぱりができているんですが・・」「え?指、つっこんだの?」・・そうじゃなくて、、恥ずかしいやら情けないやら・・でも何日も考えあぐね、今回を逃すと次は5月だし、万一残党だったりしたら痛い目に会うのは自分だし、、、それに先生だって術後チェックしたいだろうし、などと考えていたら、「はい、左向きに寝て・・お尻出して・・」。
触診ですね。__他人の侵入なんか許したことはない。自分の指でさえ「よほど具合が悪いときに意を決して」なのに。

 手順や状況は理解している。ゼリー状の潤滑剤が塗られ、確認されていく。こちらからは先生の姿は見えないが、慎重に360度探っていく。仕事とはいえ、なんだか申し訳ない。

「治療の対象になるようなモノは、ありません・・・・・・」ず、ずるい!!あるとも無いとも、、いや正確な表現なのだろうが、・・・まぁ、がんに関わるものがなければ不安は解消されるわけだし、前立腺もついでにチェックはいっているだろうし。

こっぱずかしいデメリットよりも、得られるメリットのほうがはるかに大きいのだから、いいじゃないか。これでいいんだろ? カラダさん。

 すっかり順序が入れ替わったが、そんなイベントの前に、CTの結果もインフォーム。S字結腸を剥がしたあたりのナンブイエン(軟部位縁?)が少し厚くなっているが、経過見でよいとのこと。

その後7階に挨拶に行くが、婦長さんは長期休暇だそうで、お会いできたのは笑顔の点滴針名人さん。闘病記読んだのか気のせいかやや引きつった笑顔に。

次はオアシスで一服、が定例コースになっている。これを年に4回繰り返す。この寒さではオアシスには切羽詰った人しか来ない。ものすごいリハビリ効果だ。

 昨日も書いたが、先は長い。スタートしたばかりだ。でもこうして記録を書き、読み返してみると、感覚的にはあまり変化が無いように思えても、しっかり回復していっていることがわかり、落ち込まずにすむ。他人の役に、、なんていっても、結局自分へのフィードバックが一番大きい。

 午後から出社。私が不調だとまわりにもそれが影響するようで、早く復旧しなければならないが、この3ヶ月で学んだことは「適度に力の抜けたペースで」いくこと。もう少しお付き合いください。
部品買出しついでにサムソン製(らしい)マイクロSDHC16GB class10を買い足す。

以前はマイクロSDHCなんて、などど考えていたが使用機器が増えると次々に買い足さざるを得ない。しかし現在10枚程度を使いまわしているが、焼損不良が2枚(上記サムソンとは違う)とは結構不良率高い。大きなファイルの出し入れが激しいせいだろうか。


2月1日火
 朝からOUAで口述試験。年々トホホ具合に磨きがかかり、途方にくれてしまう。昼食に久しぶりのしょうゆラーメンを食べるが、なにか問題があったようで、夜になりえらいことに。せっかく自信も付きかけていたところに、ひどい下痢ピーになる。

試験中でなくてよかった。6回も続けざまにトイレに。10秒が耐えられない。

肉体的には「一刻も早く排泄する必要がある」状態なのだろうが、こちらの都合はお構いなしに止め処も無く、けっこうな痛みとともにやってくる。下痢ってこんなだったっけ。


2月3日木
 OUAワークショップ出講。相変わらず下痢の余波(痛み)が続く。排泄自体はおおむね回復。

構内有線LANに無線ルータを接続しようとしたら、どうやらサーバで検出し使用できないようにブロックするようになっているらしい。少しがっかり。


2月5日土
 結局、下痢の余波は金曜日まで続いた。結構「もう普通に外出できるじゃん」とも思っていたほどの自信は、すっかり萎えてしまう。トイレ伝いに活動するしかないのか。バイクツーリングはできるようにはならないのか。

 Wikiぺディアのオフライン用データセット(EPwing版)パッケージを見つける。カラー図版なしの軽量版とフルバージョンがあり、それぞれ1.6GB、6GB、と結構なサイズ。

あまり当てにならない部分はあるが、通常の辞書ではカバーできていない部分も豊富だし、オンライン閲覧と中身が同じでも、オフラインで使用できることは意味が違う。

ダウンロードパッケージであってもオフラインで使用できることは旧来の出版と同義の重みがあり、ゆっくり閲覧したくなる。

 どちらも十分に大型百科事典で、自分のPCに入れるにはもう少し圧縮をしなければ、と思いEBShrink.exeを用いて圧縮しようとしたら、すでに圧縮済みだった。なんと非圧縮では文字だけで4GBもあることに驚く。結局、旧来から使用しているEB/EPWING書籍のほうを圧縮し、スペースを確保することに。

 これから数日は辞書サーフィン三昧かと思っていたら、IS01に軽量化したEB/EPWING辞書群とWikiを入れたとたんに、動作が異常に重くなってしまった。マイクロSDHCカード切り離して→ファイルをコピー→カードのマウントで、アンドロイドはファイルのチェックに行き、その間はCPU利用率が跳ね上がり、チェック終了でもとの限りなく0%に近い状態に戻るはずなのに、半日経っても100%のまま。

結局カードの中身を全て退避させ、カードをIS01自身でフォーマット→中身をコピーで元に戻す、で正常化した。ファイルシステム上の不良ファイルなどがあると、このような状態に陥るようだ。正常化したところで、辞書閲覧ソフトDroidWingとEBPocketを起動してみるが、どちらも苦しそう。

辞書類を再圧縮してサイズが小さくなったので、コンテンツを倍増させたのだが、そのせいで動作が重くなってしまっているようだ。この2つの閲覧ソフト、それぞれ傾向が違っていて一長一短あり、結局両方とも使用することに。前者は立ち上がりが速く、動きも比較的軽いが、大量のコンテンツでは動作が引きつるし、文字化けも他言語の場合には結構目立つ。

後者は起動時のコンテンツの読み込みに相当に時間がかかるが、それを越せば滑らかな動きで、文字化けほとんど生じない。

辞書サーフィンはしばらくお預けのようだ。


2月11日金
 昨夜から激しく降雪。朝には結構な積雪に。近所の子供はおおはしゃぎ。タカラに雪を見せてあげる。

タカラはノルウェー・ジャン・フォレスト・キャットかメーン・クーンと日本猫の雑種だ(きっと前者)。生後わずか数日で左手を失い、親猫にも見捨てられた(農業用のPP紐が左肩にからまり、壊死。

からまって外れなくなっていたので、猫の引越し時に連れて行ってもらえなかった・・)かわいそうな境遇のところを、私に発見され手厚く育てられたせいで、大変気立てのよい猫に育った。水遊びが大好きで、寒さ知らず(その分、夏はつらそう)なので、雪が積もったら是非雪上で遊びたいと思っていた。

予想通り雪には興味津々で、見入っているのだが、なんとブルブル震えているではないか。やっぱり寒いのか、それとも興奮しているのか。


2月12日土
 辞書は自宅でPCで使用する事はもちろんだが、出先や移動中などで、ふと気になったときに手軽に見たいものだ。そのためにIS01に放り込んだのだが、マイクロノートPC PA3KXやタブレットPCでも閲覧したいものだ。

またWikiなどでは辞書というより読み物的な閲覧も考慮すべき情報量で、いいかげんな情報に対してはツッコミを入れて暇つぶすこともあり得る。ところが、これらの移動に適したマシンでは本体に内蔵されるSSDやフラッシュメモリーはサイズが小さく、その多くは既に必須なプログラム、データ類、ワークエリアで一杯だ。地図も大容量であることだし。

 そこで考えたのがマイクロSDHCメモリーカードを、超小型のリーダーライターに入れ、プラグインのデータバンクとして使用する方法だ。

 ところが困ったことにEPWING辞書フォーマットでは辞書のメインデータはHONMONという名称の単一ファイルで、Wikiなどでは軽量版をのぞき、ゆうに2GBを超える。

フラッシュメモリーの多くは、ファイルシステムがFAT32などの固定クラスタ識別子では2GB以上ファイルサイズも扱えないし、断片化も大きい。それ以前にそんな大きいファイルを格納することができない(なぜだかFAT32の1.8インチHDDにはコピーできたが)。

そこで、このプラグイン用のマイクロSDHCカードのうち、大型ファイルを格納するものに対してはNTFSフォーマットにしようとしたら(「ポリシー」→「パフォーマンスのために最適化する」→「NTFSでフォーマット」)、これまたどういうわけかこれが可能なカードと不可なカードがあるよう。

滅多なことでは行わない作業なので、あれこれ思案していたが(「スタート」→「ファイル名を指定して実行」→ DOSから→「convert DriveName: /fs:ntfs」)で、ファイルシステムをNTFSに変換することで、無事Wiki日本語版フルセット(6.2GB)をプラグイン化。そうこうしていたらWiki英語版(9.3GB)も発見。

16GBカードに両方は収まらない。とりあえず英語版は「シンプルバージョン299MB」で我慢しよう。無事Wikiプラグインが完成。







2月14日月
 本日出社。昼間から降雪。社長の判断で早く(午後10時)に退社。帰りに雪で滑って車にぶつかる自転車女性や、ひっくり返った大型スクーターなどを目撃。大和川を越えたあたりから積雪が著しい。珍しく帰りに食事に。

 先日のNTFSファイルシステム化の続き。私がメインで使用しているノートPCはNEC製VY10F(法人向け、軽量、PEN_M、1GHz、1.25GB_mem、ATI7500)なのだが、自分の著作物原稿や作業中の小容量ファイルは、PCに装備されているコンパクトフラッシュスロットに内装したCFメモリー(8GB)にもセーブしている。

(この日誌や個人情報なども含み、必要なら暗号化やファイル偽装化を実施・・それらのファイルやフォルダのショートカットがデスクトップに置いてあったり、ランチャー登録してあるので、あまり意識せずに作業できる・・・挿しっぱなしのUSBメモリーのようなもの)

このCFは着脱するためではなく、PC本体(とくにHDD)が何らかの問題で読み書きできなくなった場合の保険のような意味あい(同期化はしていない)なのだが、読み書きがめっぽう遅い上、起動時からセットしてあったり、しばらく使用していると、ソフト的に切り離せなくなる。

 着脱が目的ではないので切り離せなくなることはたいした問題ではないのだが、格納されているファイル数や容量が大きくなるにしたがって、エクスプローラでそのドライブにアクセスするだけで、カーソルは点滅気味になり、動作も引きつるようになってくる。

ファイル構成一覧を取得するだけで莫大に時間を消費しているのだ。このような問題に対処するためにサムネイルやインデックスの機能があるのだが、どうやらFATシステムではこの機能が制限を受けるらしく結果として引きつりの原因になっているよう(半端な知識なもので・・)。

 そこで、このドライブをNTFS化。これにより引きつりも大幅に改善できたが、ますます切り離しにくくなったのか。


2月15日火
 成績提出後に、夕方から河原でIS01+Rmapsのデモ動画を撮影。このデモを作成することに意味などないのだが、他人に説明できるようになることが、自分がそれを理解する近道であるし、これを機会に撮影や編集(といってもテロップを入れるくらいだが)を学ぶ口実。

何か目標をたて続けなければ、何も身につかないような気がするし、ろくでもない考えに押し潰されそう。


2月16日水
 本日も出社。情報検索中、ひょんなことで「MRI 事故」で興味深い写真や動画が。ガントリーに突き刺さった車椅子や、ブラックホール遊びにふける人たち・・。設置作業などでの落下事故など。

目的の「車椅子ブローチを付けた稼動中のMRI」の写真は見つからなかったが、もちろんすさまじく危険なことは、関係者なら誰でも理解しているはずなのに、やはりやってしまうんですね。磁石って、いくつになっても楽しい。

(私はスピーカーユニットの開発(販売のためではなく自分の関わるイベントやプロジェクトのための)をしばしば行っているが、スピーカーの性能=磁石の強さ(正確には変換効率=磁束密度/総磁束)という宿命があり、Kg単位の希土類磁石を組み合わせ磁気回路を組み立てるが、何度も指を失いかけた経験が・・・)


2月17日木
 ワークショップでOUAへ出講。モニタースピーカー作りは1人。おかげでIS01+Rmapsの別デモ動画の撮影ができる。

こんなとき芸術大学はキテレツな格好でキテレツなことをしていても咎められる心配がない。帰宅後、またしても下痢。まったく原因がわからない。出ないよりはマシなのだが落ち込んでしまう。


2月19日土 誕生日
 月並みだが、5ヶ月前にはこの日が向かえられないかも、などと思ったりもしていた。

 しかし、元気にこうやって、女性たちの作ってくれたケーキを皆で食べられることが、例えようもないくらい嬉しい。参加者はキヨミ、Y女、タカラ、N、KM。大きな盛り上がりはないものの、穏やかな時間が楽しい。

 参加者が半減したところで、You tubeザンマイ。After Dinnerの'87メルクウェッグ(アムステルダム)ライブの動画がアップされているという情報→ Deep Purple Burn(どういう関連で並ぶのだろう?)→紆余曲折あり→Comfortably numbザンマイ。

(*この曲はPink FloydのアルバムThe Wallの展開部の実質最後の楽曲)そう、私の現状はcomfortably numb なのです。

自宅にネットが無いため、You Tubeサーフィンすることなどまずあり得ないのだが、実によい時代(とんでもない時代)だ。見たい(聴きたい)ものが次々に押し寄せて来るわけで、売る立場としては考えさせられることが多い。

 この楽曲はもともと好きな曲の一つだが、自分の状態と重なる部分が多い。You Tubeで閲覧していると、本家のギルモアやウォーターズのもののみならず、ギルモアとケイト・ブッシュ、ロバート・ワイアット、デビット・ボウイなどのデュオもある。

もともとAメロがウォーターズ、サビがギルモアなのだが、とくに私が好きなのはウォーターズ/ヴァン・モリソンによる'90ベルリン・ライブ(もちろんLDを予約で購入)で、サビを優しく歌うギルモアよりも力強いモリソンに憧れる。私も彼のようにこの曲を歌ってみたい。

 After Dinnerのころ当時のギタリストのI君に、ギターソロを西部講堂の屋根の上で演奏してほしいとお願いしたところ、即座にNOと断られたことを思いだす。彼の紡ぎ出すソロは、フレーズもトーンもホントにカッコいい。

 YouTubeには他にも超ダルダルのカバーや国家行事採用などが多数あり、この曲の親しまれ具合や演奏の難しさ、解釈の多彩さを堪能。今となってはロックへの鎮魂歌にすら聴こえてくる。
もし私にこんな曲の制作の依頼がきても、きっと断るだろう。好きだからだ。
仕事には好き嫌いを挟み込む余地など無い。

After Dinnerのメルクウェッグのアンコールの動画、一体誰がアップしたのかと思っていたら、後日、同行メンバーの一人と判明。いつの間に録画してたの?君は演奏してるじゃん??


2月20日日
 昨夜の紆余曲折。その中にはEL&Pも含まれるが、とくにタルカス。本家の演奏は、まぁあんなもんだろうが、カバーでキーボード一発(電子オルガンやピアノ・・)で弾ききる動画がけっこうあるが、つい見入ってしまう。なんだか懐かしい。

 私が学生だったころ、この曲は作曲や演奏のとんがった学生にとって、この曲が弾けることが、一つのステータスというか「スレッショルド」であった。譜面があるわけではないので、高い聴音能力(記譜能力)と演奏能力(練習努力)が問われるのだが、大学の作曲や演奏に入学してくるくらいなので、皆それなりに自信があったりするものの、そのような者ばかりが集まったところでは多くは「並」なのである。

 そんな中この曲を採譜し(採譜しなくても記憶再現できればよいのだが)人前で披露するに、いくら努力をしても授かれる者と授かれない者に選別されてしまう。だからスレッショルドなのだが、授かれる者であっても、なにせ20分35秒もあるので、全編完コピしてる者は少なかった。

全編完コピにはさらに根性とEL&Pに対する尊敬と敬愛も要求されるが、私にはこれが不足していた。楽屋などでの世間話で、しばしば「XX大のXXちゃんは完コピすごいよ」などの話題が出ては、驚異とうんざりがその場を支配したものだ。
(You Tubeにアップされているのも、なぜか女性が目に付く。オッサンでは絵にならないのか)

 一昨年(2009)私はフランスのBob Drakeスタジオにしばらく滞在していたが、私たちが訪れる直前に年代物のチャーチ仕様のハモンド(B-シリーズの初期、不動)を購入。

滞在ついでに修復したのだが、修復完成記念に私が演奏した曲はEL&Pのナンバーメドレー(なんと軽薄・・)で、タルカスハイライト(歌部分を全省略・・Bobは不満げ)に続き「エルサレム」でBobは何やら妙な(きっとイケない歌詞で)替え歌をベルカントで歌っていたが、一同引きまくりだった(何を歌っていたのだろう)。

洋の東西を問わず、このあたりの曲はやはりスレッショルドのようだ。




 で、本日の「題名のない音楽会」。吉松 隆編曲、佐渡 裕指揮、東フィル演奏のタルカス。何だかタルカスちゃんが劇画調。アレンジはともかく収録のバランスがかなり悪い、と思っていたらCDを出すのだとか。そっちはちゃんとしてるんだろうね?うまくできないなら、私がやってあげてもいいよ。

 この曲の演奏を聴いても(頭の中ではトレースしながら同時に鳴らして)、昔ほどアドレナリンは出ない。キャタピラ音フレーズの第5音と第8音にはピチカートを配合でしょう? 
あれ!?吉松さん、どっかでお会いしてません?? 気のせいかな。

 You Tubeザンマイ。PinkFloydの原子心母のカバー完全再現版まである。フランス人ってば・・。どうしてダンスを入れるかね。学校のおさらい会??

(おぉ!なんとパリ・コンセルバトワールの精鋭のもあるじゃないか!!そりゃダンスも入れるわな・・・・正確だがノリが悪い・・でもコーラスは最高!! と、思っていたが、翌日オリジナルと比較すると妙にあっさりしている・・・オリジナルコーラスは8声で書かれているが、どうやらコンセル版は6声のよう???・・・後日、解析ソフトWaveToneと耳の両方で確認・・ただ、YouTubeの音が悪すぎるだけなのかも)

いろいろあるね。コーラスが崩壊してるのとか。学校なら、指導者たちが原子心母の洗礼を受けた世代なので、この先当分いろんなのが見れるのかもしれない。

35年前には自分もそんなことやってみたくて、スコア作ってみたりアナリーゼやったりしていたが(原子心母アナリーゼでムジコロジーの単位も高得点で取得!)、これを見て当時の自分の心境を思い出す。なぜ作曲やアレンジに進まず、制作に進んだのか、その理由がそこにある。

 昨日のパーティーで食べ過ぎたのか、下痢になってはいないものの一日中腹痛。これではタルカスどころじゃない。


2月21日月
 結局気になってどうしようもないので、会社でYouTube上のストリームをファイル化。そのまま持ち帰り精査。

どうしようもなく下手な演奏者は論外として、譜面化できる部分はおおむね正しくできているので、あとは練習量と良い指揮者の投入で何とかなりそう。

問題は、譜面化できない、あるいは譜面化の意味の無い部分をどうするかということ。具体的にはこの曲は典型的なソナタ形式なのだが、第一主題が2度目に出てから以降~3度目までの部分(再現部・・・文字通り)。

**ソナタ形式第一主題は男性的で、ややアップテンポ(この曲ではブラスパート主体のカッコイイ部分)、第二主題は女性的でメロー(この曲では、チェロソロで演奏されている)だが、第一主題に対して転調をともなっていない。

ソナタ形式は交響曲の第一楽章か最終楽章で使用される形式上の黄金率のひとつだが、原子心母の場合はその楽章の発表や提示がないものの、おそらく最終楽章としての想定があるのではなかろうか。

公式には組曲ということになってはいるが。**

 この部分後半はまさに「再現部」なのだが、ロイ・ギーシン(オリジナル編曲者:Ronald 'Ron' Geesinだが、Ronと書いてロイと読む!?)はここに「過去の耳」を要求している。

それまでの音楽には無かった概念(ミュージック・コンクレートとも異なる概念[コンクレートそのものには「現在」の概念が無い]だが、手法としてはコンクレートを使用可能)で、3番目の第一主題の開始点は過去の時間軸と現在のそれのクロスポイントにならなければならない。

時間軸が交差し、過去の耳を打ち破るかのようなかたちになっているのだ。この楽曲の最大の快感点だ。最後なんかどうでもよい。

 この部分をオリジナルの音を拾い上げ、そのとおり演奏しても再現にはならない。オリジナルを詳細に分析すると、かすかに交差点以前の「現在」のパートも聞き取れ、それ以外のパートはそこまでの「録音」でまかなうか、別の素材の「再生」でなければならない。

また、そのことが聴く側にアピールできなければならない。単なるクラシックの延長ではないところが、この曲のスゴいところだ。

 この時間概念がこれらの「再現者」たちに欠けている部分であるように思える。おそらく大抵のこれらの企画者は、「今現在」の楽譜による演奏にとらわれているのだろう。

 私はこの分野は得意だ。まだまだ死ぬわけにはいかない。


2月26日土
 半日かけてマイクロノートPC PA3KX用の車載電源を製作。PA3KXはバッテリー2セル、外部電源はACアダプタのラベル表記によると9vなので、車両のシガライター電圧(公称13.5v)からレギュレータを用いて目的の電圧を得る。

 この製作のために部品は見繕ってある。レギュレータには、3端子直列ドロッパ(7809など)のものは用いず、既製品のスイッチング・レギュレータ・モジュールを使用。

ユタカ電機製作所製YDS-305Nを投入。この製品の緒元は、入力電圧:10~40v、出力電圧:4~12v(可変)、効率87%(代表値)、出力電流:3A。新品購入PCには大盤振舞!?。

ボディーは共立電子産業でバーゲン販売のシガープラグ(出力12v、1.5A出力のスイッチングレギュレーター内臓)にサイバーなデザインで組み込み。ボディー加工に結構時間がかかる。サイバーにはみ出しデザインにしたため3次元曲面工作。

 程なく完成し、本体も正常に起動できたが、消費電流値、とくにバッテリーへの充電電流が、純正ACアダプタと比較して少ないようだ。あらためて純正ACアダプタの出力電圧を測ってみると、なんと9.6vもあるではないか。そりゃ少なくなるわね。

市販のDC9vのアダプタでは、十分なパフォーマンスが出ないということなのか。

 電圧を手直しし、再度バッテリーレスで本体起動テスト。DCプラグのがたつきが気になっていたので、がたつかせてみると接触不良発生!・・・落ちてしまう。

落ちただけではなく、正常起動できなくなる。「前回の正常起動~」で起動すると、今度はブルースクリーンでファイルシステムエラー!!なんと脆弱なこと。DCプラグは現物合わせでぴったりのものを探さなくてはならない。

 本体購入直後に、韓国から互換バッテリー(M1用、正確には微妙にサイズが異なるがピン配列や緒元は、ほぼ同一)と「バッテリーチャージアダプタ」を取り寄せる。バッテリーチャージアダプタはなかなか便利で、PC本体を使用せず、ACアダプタとこのチャージアダプタのみでバッテリーを正常に充電でき、小型軽量。

製作している車載電源は本体とチャージアダプタの両方を、同時に使用できること目標。このチャージアダプタのような製品は、なぜ日本製の製品には無いのだろう。

 夜半に便意(少し前までこの語を書くことに抵抗はあまり無かったが、今日は抵抗あり)でトイレへ行くが、終了後にふとふき取った紙を見ると真っ赤じゃないか。おひさしぶり・・じゃない!。

別にどこかに痛みがあるわけではないし(この一週間、足裏が少し痛んでいるが)、しかもズルズルに粘液混ざり。かなり落ち込むが、数時間後にもう一度トイレに行ったときには赤くは無かった。何が原因かさっぱりわからない。

仮に「何か」が残っていたり、再発しようとしているのだとしても、出血そのものにはあまり不安は感じない。問題のある場所が自己増殖速度にエネルギー供給が追いつかず自己壊死したか、免疫によりアポトーシスが加速したか、何か心理的な(あるいは肉体的な)ストレスで潰瘍でもできたのか。ストレスのネタには事欠かない。

 とにかく気にしすぎることがないよう配慮し、冷静に観察しよう。


2月28日月
 本日、車検のため午前中に車両の引取りと代車の交換。

業者が来たのが早朝だったこともあり、睡眠時間3時間ほどで起きるが、ひどい不整脈で10プルスに一回は休符。息苦しく気分は悪い。2時間ほど寝なおしたら症状は消失。もう少し睡眠時間を増やすべきなのだろう。

 午後出社。アポジー社のプロセッサのゲイントリムの機械破損の修復(交換ではなく復元)に続き、QUAD EIGHT社のコンプレッサのハイブリドOPamp AM-4の修復(ディスクリートでレプリカの製作)。

 夕方部品買出しついでにマイクロノートPC PA3KXの電源DCプラグを探し回る。今回はPA3KX本体を部品販売店に持ち込み、現物合わせ。なんと同じように見えて+側電極穴の内径は公称で1.1、1.2、1.3、1.4(単位mm)とあるが、店舗によっては1.4しか置いていない。

もちろんこれはガタがあり、接触も途切れる。部品屋4件目でやっとジャストフィットするものが見つかる。公証の数値はあまりあてにならないようだ。

 Miki Yui女史のMginaがあちらこちらで話題になり、結構評価も良いという話を聴く。秘匿義務があるのであまり詳細なことは書けないが、このアルバムにはマスタリングで関わっている。

このマスタリングをどこがやるか、という入札(入札といっても「相見積もりと過去の業績」とケアなのだが)で、大手のマスタリングスタジオに勝ち残ったので、できる最大限の手間隙をかけたので、印象深い。

ユイさんが最大限のケアを望んだので、納得のできるところまで時間をかけた成果だろう。彼女はドイツ在住なので、そのせいもあるが、データの入稿はWav ファイルのCD-r、こちらからはできたものや候補を、PMCDで郵送し意見や判断を伺うという形式。最初の1ヶ月でほとんどの作業は終了(もちろんAudacityで90%の作業を行う)。

その後1ヶ月はユイさんも私もこの作業は一切お休み。次のひと月で最終的なツメを行う。1ヶ月の休みが入るのは、休みを入れなければ客観的な判断ができないためだ。

だから、休みの後の最初のヒアリングは大変重要で、そのときの印象や判断を双方で分析し、最終的なツメにのぞむ。

 印象的なことは(いつものことといえば、いつものことなのだが)、最後に問題になったのは「サンプリングレート変換」をどれにするか、という問題で、Audacityをはじめとしたソフト・レート・コンバータがまたもや全滅だったこと。

採用になったのは16bit深度で動作するレート変換専用チップが、24bitのチップよりも上位になったこと。どのみち音の変化はあるのだが、「最も悪くない変化」という判断で、双方の一致が得られた。いつもこれくらい時間がかけられればよいのだが。これくらいやらなければ大手とは渡り合えない。

 この作業が終わったので、その勢いで病院へ行った・・・だから印象深いということもある。


3月5日土
 Audacity Professional Manualの読者から、お礼のメールを頂く。なんでもマニュアルで得た知識や技術を駆使した結果、コンクールに入賞したのだそう。ちょっとだけ自分のことのようで嬉しい。

 確かに学生たちの作品でも、使用したソフトで随分と音や品位が異なる。品位だけで評価するとAudacity使用者が上位をしめてしまうのだが(Audacityを使用しても、もちろん低品位の作品はできる)、それでも改宗する者が少ないところは不思議な現象だ。

私が評価を与えなくても順位は誰の耳にも明らかなのに。もちろん音楽の中身が伴っていることは必須なのだが。

つまりAudacityでは他のソフトよりも明確に完成状態のビジョンが求められ、それによって手順などの組み立てをしなければならないが、そのことが音楽の中身にも影響を与えるということなのかもしれない。

それとも、世の音楽家は即興操作がお好みなのだろうか。謎は深い。


3月8日火
 前方低位切除術でS字結腸を切除したのが昨年の10月13日なので、今日で術後21週147日目になる。

 身体的には大きな問題もなく(とはいえ日誌にあるように不安材料には事欠かない)順調に回復しつつあるが、油断は大敵だ。便意頻回傾向はいぜんとしてあるが、これも大きく波があり、頻回の日もあれば、何事もなかったかのように起床後数十分で排泄、その後は翌日までOKのこともある。

電車で移動のある日はそれなりに緊張するのか、問題の無いことがほとんどで、そんな毎日が自信につながっていくのだが、テンションの落ちた休日が危ない。そんな日は何の計画性も無く、思いつきでふらりと商店街に買い物に出たりするが、そんな本日、恐れていた「間に合わない」状態に遭遇。あと5mだったのに・・。

 父は80歳を越えてから深酒がひどくなり、ときおり粗相することがあったようだ。そんなとき母は戒めを含め自分で洗わせていたようで、それ専用のタワシがあった。実際に洗っているところを見たことは無いが、そのタワシを見るたびに、私は自分を酒からますます遠ざけ、こんなふうにはなりたくないものだ、と常々思っていた。しかし、今、自分は父のように洗っている。随分早くに父の境地に達したものだ。

 前回、原子心母の話題だったが、冒頭の表題が「父の叫び」で、私は「父のタワシ」という表題で曲が書けそうだ。

 積極的に対処しなければならないだろう。こんなことのために旅行用使い捨て下着なるものを購入(5枚入り105円也)してあったのだが、持っていなければ何の役にもたたない。小分けしてパックし携帯しやすくしておかなければならない。

身の回りを探してみると、秋月電子通商の部品(NJM2122D)が入っていたファスナー付袋が大量に・・・。入れてみるとジャストフィット!

 何をやっても気が晴れるわけではないのだが、キヨミが「たったそれだけじゃない?」。そんな一言に救われる。迷惑をかけっぱなしで、申し訳ない。


3月11日金
 今日、午後に突然めまいを感じる・・・病院へ行かなくては、と思ったらめまいではなく東北地震。ここ大阪まで伝播されると、スルドさが取れ、ゆっくり大きくグラインド。私はシミュレーション遊びで、原発にはすこしうるさい。ガイガーカウンターは部屋に常駐しているくらいだ。

セシウム137やヨウ素131が検出されたということは、その時点で炉心溶融間違いなしではないか!?

震災そのものにも釘付けられるが、原子炉の動向が大変気になる。しかし、まだあまり報道では扱われていない。

 プライベートでも警戒レベルを通常の1から3に引き上げ。 内容は、備蓄資材の点検と確認(分散配置のため)、不足分や消費分を買い足し。バッテリーの補充電と充電レベルの引き上げ(ニッケル水素は継ぎ足し充電または、放電→満充電、リチウムイオンは通常60%充電だが、満充電に引き上げ、ノートPCは通常ダミーバッテリー運用だがバッテリー装備運用に。本数が多いのでなかなか大変)


3月12日土
 夕べはずっと報道サーフィン。すでに相当の量の汚染水蒸気を排出しているのではなかろうか。

 午後3時過ぎ、原発敷地正面玄関で1015μSv(マイクロ・シーベルト・・SI単位系だが生体吸収係数から補正した線量)。スリーマイルズ島と同レベル。炉心溶融し炉心が釜の底に溜まる前にホウ素などの強い減速材を注入しなければ手遅れになる。しかし、炉を復旧したいのか、注水冷却にこだわっているようで大変不安。

 あまり報道では詳しくは伝えないが、ときおり口が滑るのか、とんでもない情報が聴こえる。外部からの給電は停止し、自家ディーゼル発電機は燃料系などが海に流され、仮に燃料があったとしても、まともには発電できないだろう。

阪神淡路震災のときに後輩の原子炉デザイナーと話す機会があったが、直下型の地震では、タービンや発電機シャフトが台座から外れ、部屋の中で踊っていたと・・。

またそんな事態は想定しなくても良いのだとも。

 夜半に記者会見があったが、わけのわからない答弁。炉心への海水注入(とホウ素)が決まり、一見収束したかに思われたが、この会見では、注水しているはずなのに、水位計はどんどん下がり続け、現在(午前2時過ぎ)下限値を割り込んでいるとか。質疑では水位計が壊れているのではないかと答弁していたが、それはいかがなものか。

 ひょっとするとすでにシュラウド(炉心格納容器:釜)の底には穴が開き釜容器の方に駄々漏れなのでは???

 最初はスリーマイル島レベルと思っていたが、それよりひどいのではないか??スリーマイルでは水素爆発はなかったし。

 非難範囲は半径10Kmから20Kmに夕方変更されたが、これはメルトダウンした場合の重汚染域の500平方Kmとも一致(ウィンズケール火災事故)。

 そもそも炉を復旧させる考えが強かったのではないか。炉心が崩れる前にホウ素注入しなければ、溶けた炉心がシュラウドの底に溜まった後では、再度臨界に達してしまい内部は数千度にもなるため水蒸気膜ができてしまいホウ素注入の効果が薄れる。

 炉心が冷却水から露出したら即座にホウ素注入するくらいでちょうどよいのでは。

 であるとするなら、すでにチャンスを逃しているように思う。私の思い違いならよいが・・・なにせ、私は素人だから。

*この記述は不安を扇動するものでも悲観論でもない。単なるシミュレーションとして、単に私がニュースを見ながら考えたことにすぎない。もちろん政府批判でもないし、今回はよく事実認定しているほうとも思う。

 報道によると被爆した民間人がいるとか。しかもサンプル数3で陽性3。どう説明するつもりだろう。

 ネットなどではやたらと1号炉は「停止」しているから・・・安全、、、のような書き込みがあるようだが、炉に燃料棒が入った状態で停止はありえない。エンジンで言えばせいぜいよく言って「アイドリング」だろう。

 これを機会に、原子炉運転シミュレーションゲームでも流行ればいいのに。いつもはデスクトップのアクセサリ。突発的にシナリオスタート・・。様々なタイプの炉が選べ、単に発電炉だけではなく軍事用や原潜、架空のタイプの炉からUSSエンタープライズの反物質炉まで遊べる。きっと人気は黒鉛減速炉だろうな。不人気はロミュランのブラックホール炉か。全面協力するから誰か作って!

 そう言えば、チェルノブイリの一件で、自己骨髄移植・・・危険な事故炉に突入する前に、自分の骨髄をプールしておき、作業でぼろぼろになった免疫系と白血球を帰還後に放射線や抗がん剤で焼き尽くし、プールしておいた自分の骨髄を移植するという手法をとっていることを知り、そのときは感動的と思った。

その後どれくらい生存できたのだろう。とりあえず生着率は最高のはずだが。骨髄移植はこのような事態に対処するために考案され、この一件で脚光をあびた。

 またまたそう言えば、チェルノブイリの一件も長時間の異常低出力で、炉心がキセノン中毒に陥っていたことが事故の引き金ではなかったか。

 写真は子供のころよく遊びに連れて行ってもらった、山口宇部の常盤公園。昭和35年ころ。このころ白鳥たちは自主的に勝手に飛来していた、と思っていたが調べてみたら、オランダの動物園から導入したのだとか。


 同じころ白岩公園にも(こちらは写真なし)。白岩公園は石英や水晶が産出するが、私はなんと縄文時代の石英の鏃(やじり)を発見。図鑑にも掲載された・・。

 utsunomia.com のサバイバーラインというコンテンツは、そもそもはこのような災害などに対応するために執筆したものだが、少々後手にまわってしまった。

がんばって執筆せねば・・。